leadership-insight
リーダーシップインサイト
- ホーム
- リーダーシップインサイト
- 研究開発者のためのビジネスマインド養成講座(その3)
研究開発者のためのビジネスマインド養成講座(その3)
顕在需要と潜在需要
前回までのコラムで、ビジネスR&Dの有用性と必要性、並びにビジネスR&Dが世の中で十分行われていない要因について見てきました。ビジネスR&Dの実行に当たっては、顧客インタビューやアンケート調査などを駆使して、いかに市場ニーズを早期にキャッチするかが成功のカギとなります。ここで問題となるのは、需要(ニーズ)には顕在需要と潜在需要の二つがあるという点です。
(図1)
顕在需要とは、「顧客が必要性を明確に認識している製品やサービス」のことです。顧客が「是非とも欲しい」、「無いと困るなあ」ということをよく理解している(感じている)ものなので、アンケート調査やインタビューなどを通じて比較的容易にニーズの存在を確認することができます。これに対して潜在需要とは「顧客が必要性を明確に認識していない製品やサービス」を意味します。顧客が常日頃意識していないニーズなので、「こんなもの欲しいですか?」と尋ねてみてもピンと来ない人がほとんどで、ニーズの有無を確認するのが非常に難しいのです。現在のBRICSやASEANのように急速な経済成長を遂げている国々では、(かつて日本がそうであったように)日を追って国民生活が豊かになり、食品、衣料、家電、オートバイ・車などあらゆるモノに対する強烈な顕在需要で溢れています。これに対して現在の日本では、国民の平均的な生活水準が既に世界有数のレベルに達しており、また近年の経済成長の鈍化やモノ余りともあいまって、顕在需要を見つけることがかなり難しくなってきています。そのため潜在需要を積極的に掘り起こして顕在化させ、需要自体を創出していくことが企業の存続と成長にとって不可欠になってきています。
ここで一つ留意すべきは、「現在のところニーズが顕在化していないモノ」⇒「潜在ニーズとしては存在していて、いずれ時が来れば顕在化する」という単純な図式ではないという点です。例えば、戦後日本に急速に流入したアメリカ文化の内、ハリウッド映画やポップス、コーラやハンバーガーは日本人にも広く受け入れられました。一方アメリカの国民的スポーツである(アメリカン)フットボールや、アメリカのスーパーやコンビニでよく見かけるルートビア(炭酸飲料)などについては、正直日本市場に広く定着したとは言えないでしょう(「俺は高校、大学とずっとアメフトをやっていたんだ!」、「私はルートビアが大好きよ!」という日本人の方には、少々乱暴な議論である点何卒ご容赦頂ければと思います)。このように、市場の違いによって需要が顕在化するものとしない(しにくい)ものがあるのは事実で、企業としては、コーラやハンバーガーのように日本市場において大きな潜在需要を有したものと、ルートビアのように十分な潜在需要があったとは言い難いものを識別する必要が出てきます。それでは一体、どのようなタイプのモノ(或いはサービス)に潜在需要が見込めると考えればよいのでしょうか?
実は潜在需要の“潜在”と言う言葉は、脳科学や心理学においても注目を集める重要な概念です。人間の脳には自分で意識できている“顕在意識”の他に、意識が及ばない“潜在意識”(或いは無意識)が存在し、しかも脳内において潜在意識の活動の方が顕在意識の活動より圧倒的に活発・優勢であることが分かっています。私は、潜在意識と潜在需要は非常に密接な関わりがあり、潜在意識の構造を理解することによって潜在需要を喚起する方法も見えてくるのではないかと考えています。潜在意識の働きには様々なものがありますが、潜在需要との関連性で言うと特に「認知的不協和」の問題が重要であると思われます。
「認知的不協和」は、1957年にアメリカの心理学者レオン・フェスティンガーが提唱した概念で、
- 認知要素(自己の信念・価値観・行動や、外部から入ってくる知識・情報・意見など)の間に矛盾が起きると、人は「認知的不協和」という“不快”な精神状態に陥る
- その不快な感情から逃れるために、人は(無意識的に)認知的不協和を低減・解消しようとする
というものです。認知的不協和の例としてよく挙げられるのは、「喫煙者」の意識の問題です。 「喫煙は健康を損なう」という情報に遭遇すると、喫煙者は自己の行動(=喫煙)との間に認知的不協和を生じて不快な精神状態に陥り、何とか不協和を解消しようとします。その結果、「自己の行動を変える(⇒禁煙する)」か、あるいは逆に「自分の現在の行動を正当化する情報を探す(例:『喫煙者でも健康に過ごしている人も沢山いる』、『肺がんに罹るより交通事故にあう確率のほうが高い』など)」ことになる訳です。さらに、認知的不協和の構造を図式的に捉えたのが、F.ハイダー(1958年)のバランス理論(P-O-X理論)です。
(図2)
ハイダーのバランス理論では、ある人(P)、他者(O)、事物(X)の3者間の心情関係に注目します。そして以下の二つが成り立つとします。
- 3つの心情関係の積(掛け算)が+の時は均衡(バランス)、-の時は不均衡(インバランス)が生ずる
- 不均衡(インバランス)を解消するために、人は認知自体を変えようとする
例えば図2において、P(自分)、O(友人)、X(サッカー)の間の心情関係を考えます。P(自分)はO(友人)が好きなので心情関係は+、P(自分)はX(サッカー)が嫌いなので-、しかしO(友人)はX(サッカー)が好きなので+と表現できます。そのため3つの心情関係の掛け算は(+)×(-)×(+)=(-)となり、結果は不均衡(インバランス)です。心情的不均衡を解消するためP(自分)は認知を変えようとし、
- P(自分)もX(サッカー)が好きになり、心情関係を+、+、+に変える
- P(自分)がO(友人)を嫌いになり、心情関係を-、-、+にする。
のいずれかを選択することになります。1. が起きるのは問題ないとして、気になるのは2. のパターンです。友人が好きなサッカーを自分はどうしても好きになれない場合、友人自体を嫌いになってしまうことによって心情的不均衡を解消することがありえるというのです。これは一見、非常に不合理で馬鹿げた選択に聞こえますが、実は人間心理においてはしばしば起こる現象です。例えばある会社において、Aさん(=P)がBさん(=O)を大嫌いだとします。ある日のこと、AさんとBさんが会議で同席することになりました。会議でBさんがとても的を射た発言(=X)をした場合、Aさんには強い心情的不均衡(認知的不協和)が起こります(「Bの意見はひょっとして正しいのかも知れない・・・」、「しかしBのことはどうしても好きになれない・・・」、「ウ~ム~」)。やがてAさんは「本当はBの意見は間違っているのだ。あの意見に賛成してはいけない!」と考え始め、ついには(訳の分からない理由で)反対意見を表明する。こんなシーン、実は皆さんの会社でも結構思い当たるのではないでしょうか。
このように人間には、「自分が認知している世界を、できるだけ整合した状態に保っておきたい」という強い潜在意識があると考えられます。そしてそのために、外部から入ってきた新しい価値観や知識、刺激、情報等を無視したり抑圧したりして、できるだけ「自分の中に築きあげた既存の世界観」を守ろうとするのです。これはある意味、自己防衛本能の成せる技とみることも出来ます。世界観(=世界に対する認知)が頻繁に揺らいでしまうと、人は不安になり物事にどう対処すべきかの指針を失ってしまうので、そうならないように「私の世界観は絶対に正しいのだ!」と潜在意識が顕在意識に対して常に囁き続けているのです。しかしこの潜在意識こそが曲者で、人が新しいモノや発想を中々受け入れない張本人であると考えられます。
このように見てくると、潜在需要というものが実は「潜在意識が本当はニーズを認めているが、それが自己の世界観と矛盾するので、ニーズの存在自体を抑圧してしまい、あたかもニーズを感じていないかのように顕在意識をコントロールしてしまう」結果と考えることが出来るのではないでしょうか?すこし古い話ですが、大塚製薬がポカリスエットを開発した際、発売前にマーケットリサーチ(試飲会)をやったところ参加者からの評判は散々で、「こんなもの絶対売れない!」と酷評されたというエピソードがあります。しかし実際に販売に踏み切ったところ、事前の試飲会の結果に反して市場に受け入れられ、今では大塚製薬を代表するロングセラー商品の一つに育っています。ではなぜ試飲会でポカリスエットは酷評されたのでしょうか?認知的不協和の視点から考えると答えが見えてきます。ポカリスエットには生理食塩水とほぼ同濃度の食塩が入っているのですが、その“しょっぱさ”が従来の清涼飲料とは余りにも異なっていたため、試飲会に参加した人たちの潜在意識の中に、「果たしてこれが清涼飲料と言えるのか?」、「いやいや、こんな味は清涼飲料であるはずがない」という認知的不協和が駆け巡り、最終的に「この商品はどう考えてもおかしい。こんな商品を世に出すべきではない」という結論に顕在意識を導いたのではないかと考えられます。
さてそれでは、認知的不協和の理論を「革新的新技術をベースとしたシーズアウト型製品」に適用するとどんな意味合いが見えるでしょうか?シーズアウト型製品は、従来に無いようなユニークな特徴(機能や性能)を備えています。しかしその特徴が、消費者の潜在意識にとって「既存の世界観」と矛盾するような場合、潜在意識はその新製品の価値を(実はその価値を本音では認めていたとしても)顕在意識に否定させる方向に働きかけるでしょう。特に新技術が極めて斬新な場合には、「そんな技術、今まで聞いたことも見たこともない。絶対実現出来るはずがない」という常識(既成概念)がユーザーの潜在意識にすり込まれているために、新技術に対するニーズの存在を無意識的に否定する可能性が高いと考えられます。
ではどうすれば、この「認知的不協和の呪縛」を打破し、初期のマーケットリサーチ段階で潜在需要の有無を捉えることができるようになるのでしょう。これについては次回のコラムで、具体的な事例を取り上げて議論したいと思います。(インヴィニオ取締役 高井正美)
参考文献:社会心理学(安藤清志、大坊郁夫、池田謙一著、岩波書店、1995年)