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いつも頭にあるのは「自分で自分の運命をコントロールしたい」という思い
SPS JAPAN株式会社
カントリーディレクター
猪俣亜美 様
目次
大学を卒業したのち、金融の分野でキャリアをスタート。着実に実績を重ねていくなか「もっとキャリアを広げたい」とその都度ハードルを上げて挑戦し続けているのは、SPS Japanのカントリーディレクターを務める猪俣亜美さん。Deloitte Touche Tohmatsu、GE Capital、ING、Walmart、Align Technology、そして現在のSPS Japanのカントリーディレクターに至るキャリアの過程や、その時々で実現したかったこと、組織マネジメントで重視していることなど、等身大の言葉で語っていただきました。
猪俣亜美さん 略歴
神戸大学法学部卒業後、Deloitte Touche Tohmatsu (税理士法人トーマツ)でキャリアをスタート。GEコンシューマーファイナンス・アイエヌジー生命保険ではリーン・シックス・シグマの業務に従事。その後、西友(Walmart)・アライン・テクノロジー社でオペレーションエリアに軸足を移す。2023年10月より現職のSPS JAPAN株式会社でカントリーマネージャー。2児の母。(猪俣さんの肩書はインタビュー時のものです)
社会人5年目で管理職に抜擢される
──まずは猪俣さんのキャリアを追っていきたいのですが、神戸大学法学部に在学中に州立ワシントン大学へ交換留学されたとのこと。そのままアメリカの企業に就職することは考えなかったのでしょうか?
国際関係論や政治学を学びたかったので神戸大学法学部の国際コースを選び交換留学もしましたが、いざ外国に出てみると、「自分は日本のことをよくわかっていないんだな」と痛感しまして。日本について色々と聞かれても、なかなかうまく答えられなかったんです。それまでは国際協力関連の道も視野に入れていましたが、まず一度日本で地に足をつけて仕事をしたいと思いました。
──新卒で入社したのがDeloitte Touche Tohmatsu (税理士法人トーマツ)ですね。
留学から帰ってきて就職活動を始めた頃にはほとんどの企業が募集を終えていましたが、デロイトトウシュトーマツの募集を見つけてなんとか受けさせていただき、卒業式の後に内定をいただきました。その翌月(4月)から働くというかなりバタバタな感じで、仕事もいきなり実践から入ったのを覚えています。
──在籍された3年のなかで、特にやりがいを感じたことは?
移転価格コンサルタントという立場での仕事だったので、外国の子会社へ製品を輸出している日本のメーカーさんを対象とすることが多かったのですが、当時の経営者の方たちは「税金は支払うものだ」という意識が強くて。アグレッシブに税務戦略に取り組むような企業は稀でした。
そんななか、とある大手製薬会社さんとお仕事をご一緒することになって。私たちが作ったシミュレーションをもとに国外に機能を移していただいたり、上市を控えた薬品の税務プランを作ってくださったりと、積極的な税務戦略に取り組むことができたんです。数十億円の効果が出るような内容でもあったので、とてもやりがいを感じました。
──次のキャリアに移ろうと思ったきっかけは?
デロイトトウシュトーマツでは毎日が手探りの状態で、目の前の仕事に必死で取り組んでいた覚えしかないのですが(笑)、新卒の私にもかなりの裁量を与えてくださったので、多くのことを学ぶことができました。
そういった充実感はありましたが、「移転価格税制」というかなり特化した分野のお仕事に集中していたため、「もう少し汎用性のあるキャリアを身に着けたいな」と思い事業会社に的を絞って転職活動を行いました。当時は「どういう仕事ができるか」よりも「どれぐらいキャリアが広がるか」にフォーカスしていたように思います。
──それで、GEコンシューマーファイナンスに転職したのですね。
GEではBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)の業務と、おもにリーン・シックス・シグマの業務に従事していました。現在はどうかわかりませんが、当時のGEは特定の事業部に所属はするものの、さまざまな事業体のコングロマリットということもあって、色んな方たちと面識を持つ機会をいただけました。それらの経験も私にとっては大きかったと思います。産休・育休も含めてGEには6年在籍していましたね。
──転職の理由であった「キャリアの広がり」は実感できましたか?
GEに入って2年目で管理職になって。社会人経験としてはまだ5年目ぐらいだったので、一般的に考えても早いタイミングだったと思います。自分よりもかなり年上の方や、ちょっと前まで同僚だった人たちが部下になるので……最初は私も周りの人たちも慣れなくて。「自分にしかできないコミュニケーションは何だろう?」と模索しながら関係性を築いていって、一人ひとりに合った領域の仕事をお任せできるように心がけていました。
──同時期にウィメンズネットワークの活動もされていたとのこと。そういったエクストラの活動をやろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?
当時の大阪では、ウィメンズネットワークに関わる方が少なかったというのもあって参加させていただきました。色んなビジネスに携わっている方たちが参加されていたので、ひとつのビジネスに集まる人たちと交流するよりも、より広いコミュニケーションを醸成できると感じました。国内外で年次総会がありましたが、国内の年次総会では運営にも関わったりしていましたね。
ウィメンズネットワークでは「ネットワーキング&エンリッチメント」という、どちらかというと仕事以外の生活に関連した、男性も引き入れられるような活動にフォーカスしたクラスターを立ち上げたんです。ワインのソムリエや野菜のソムリエをお呼びする機会を設けて、女性だけでなく男性も参加できる場を提供することを目指しました。そうしたら、男性の参加率も高くなってきて……例えば、女性の部下をお持ちの男性管理職の方たちも参加したりと、間口が広がった印象があります。
私自身も管理職になってみて、今後どのようにキャリアを積んでいくのか、どうやって家庭生活と両立させていくのか、具体的なイメージがなかったので……ご結婚されている方やお子さんがいらっしゃる方が多く参加していたウィメンズネットワークはとても参考になりました。
──猪俣さんご自身もGEに在籍された頃からビジネスプロフェッショナルと母親という二軸のアイデンティティをお持ちになられて。
そうですね。育休から復職するタイミングで色んな要因が重なって、生活環境や自分のポジションを変えざるを得ず、子どものことも考えた結果、一旦退職することになりました。
PRINCE2やPMPの資格は取っても「縛られずに仕事したい」
──その次に転職したのがアイエヌジー生命保険でした。
子どもが小さかったので、生活と仕事を両立させることに必死の時期でした。一方で、私が所属するアイエヌジーグループの保険・資産運用部門は、社名変更を含めてリブランディングを行うタイミングで。そのプロジェクトマネージャーとして私が100人以上を束ねることになったんですが、パンフレットをはじめ、印刷物だけでも1000種類以上ありましたし、ホームページやシステムも変えなければいけなかった。予算規模も大きくて、期日は決まっているという……かなり大変なプロジェクトでしたね。
──100人以上を束ねるうえで意識していたことは?
全体をまとめて管理するというよりは、マネージできるくらいのサイズ感でお話をまとめていくことでしょうか。そうやって各方面の方たちと密なコミュニケーションをとるように意識していました。というのも、私はブランディングやマーケティングに携わった経験がなかったので……俯瞰で捉えて管理するよりも、現場のみなさんがプロジェクトを進めるにあたって「難しい」と感じている部分をなるべく自分が回収するといったような棲み分けをしていくことが有効だと感じたからです。
──PRINCE2やPMPといった資格を取得したのもその頃でしょうか?
そうですね。いま振り返ると……子育てをしながらの勉強だったので、よく取れたなと思います(笑)。ただやっぱり、それまでプロジェクトマネージャーという立場で仕事をしてきましたが、初めて体系的にプロジェクトマネージメントに向き合ったのがその時期だったと思うんです。そういう意味では、資格取得のためではありましたが、プロジェクトマネージメントについてしっかりと勉強する機会を得られたのは大きかったですね。
ツールやフレームが使えるようになるというのも大事でしたが、私にとって一番役に立った分野はステークホルダーマネジメントでした。人との関係性って紙に書いて整理したりはしませんが、頭のなかでは「プロジェクトをうまく回すには、この人とはこういう関係を築いていかなければいけない」といった指標があるんですよね。そうやって自分のなかではある程度確立してきたことが、「こういう風に整理されるんだ!」と目からウロコでした。
とはいえ、実際にツールを使って教えていくようなスタンスではなく、自分のなかでのベースとして頭に入れておきたいといったイメージでしょうか。私自身は、あまり資格に縛られずに仕事をしていきたいと思っているんです。
──アイエヌジー生命保険で大きなプロジェクトを経験し、次に選んだのは西友(Walmart)でした。転職の理由は何だったのでしょうか?
プロマネの限界値を痛感したといいますか……最終的な実行責任はやっぱりプロジェクトオーナーが負っているんですよね。そういう意味で、ビジネスに対してもう少し責任のある立場で仕事をしてみたいと思ったのが理由です。
西友(Walmart)はPMOの職種で採用試験を受けましたが、面接のときから店舗やネットスーパーなどの色んなオプションがある事業部に行きたいと志望していました。そこからまた、自分のキャリアが広がっていくのではないかと思ったからです。
そうして西友(Walmart)に入って1年間はプロジェクトやプログラムのマネジメントをやっていましたが、本社に所属していても店舗のお手伝いに行く日もたくさんありました。コスト削減を徹底している企業なので、繁忙期はとにかく店舗のお手伝いに行っていましたね。金融の分野からリテールに転職した自分としては驚くことがたくさんありましたが……私はわりと現場が好きなので、サプライチェーンを担当していた最初の頃は配送センターに足繫く通っていたりもしました。
──西友(Walmart)時代に何か大きなチャレンジをされたことはありましたか?
他社さんと連携してパッケージセンターを内製化するプロジェクトがあって、当時の私からしたらポジションレベルが高い役割だったんですが、責任者として担当することになりました。自宅から遠いセンターだったので通勤に時間もかかるし、子ども2人もまだ保育園児でした。そのうえ、プロジェクトが始まって少し経ったところで主人が単身赴任することになって(苦笑)。ワンオペで子育てしながらプロジェクトに従事しなければならない、これまでを振り返っても一番大変な時期だったかもしれません。
3年かけて内製化へと移行しましたが……手作業で袋詰めしていたものを機械で行えるように整備したり、現場の職員さんのなかから工場長や副工場長といった管理職を育成したり、人事制度を整えていったり。途中でタイムラインやスキームが変わったので、それらに対応していったりと、かなりの時間をかけて取り組んだプロジェクトでした。
内製化するための機能や設備を整える以上に、現場の方たちとの関係性を少しずつ築いていく過程が重要だったので、3年経ってプロジェクトが終了したときには燃え尽き症候群みたいになってしまったんですね(笑)。それで「次はどうしようかな?」と……。
乏しい情報でも判断しようとする“スピード感”が大事
──そうしてアライン・テクノロジーに転職されたんですね。どのような点が猪俣さんにとって魅力だったのでしょうか?
その時まではどちらかというと「コスト削減」の観点で動く仕事が多かったんですが、Alignでのプロジェクトは「治療計画を作るセンターを立ち上げる」という内容でした。それまでのキャリアでは形があるものを大きくしていく仕事が多かったので、1から新しく立ち上げていくプロジェクトがとても魅力的に映ったんです。
最初は少人数だった組織がそれなりの規模にまで成長する過程で……もちろん採用も大変でしたが、ちょうどコロナ禍とバッティングしたのも影響が大きかったですね。歯科矯正の装置を扱うため、1日も止まることなく動かさないといけないなかで、従業員がコロナに罹患した場合を想定するという緊張感がありました。本当に毎日がBCPみたいな感じで(苦笑)運営していましたね。それと同時に、トップラインを伸ばしていく責任もありましたので…。
──それまでのキャリアのなかでも、より一層責任が問われるポジションについたわけですが、ご自身のなかでマインドが変わったと感じることはありますか?
意思決定を自分でしなければならないので、小さなことから大きなことまで、なるべく早く判断していこうということを常に意識していました。例えば、上がってきた情報の確度が多少低くても、その情報で判断できるかどうかが重要だと考えています。私は70%の情報が上がってきたときに「90%にして持ってこい」というスタンスは取らないですね。
今でもそのスタンスは変わっていないのですが、たとえ50%の情報しかなかったとしても、1、2週間待つぐらいだったら50%でまずは判断できるかどうかを考える。1、2週間経ってしまったらできなくなることってきっとあるだろうと常に思っているんです。
──少人数だった組織が大きくなるなかで、個々の能力や適性はどのように見極めたのでしょうか?
それぞれタイプが違うので、まずは個々の適性を見ていきました。歯科技工士さんのような、職種がしっかりと決まっていて定形的なお仕事をされている方が多かったのですが、最初はローテーションで色んな仕事を試していただくようにしたんです。きっとみなさん大変だったと思うんですが……私もかつて上司から色々と試していただいて発見したことが結構あったので。
「こういうキャリアもあるんだな」とか「アラインのなかで、こんなこともできるんだ」といった発見をしていただいて、積極的に内部から新しいポジションについていただくような組織づくりをしました。お互いに大変だったとは思いますが、すごく良い立ち上げ時期になったのではないかと感じています。
──その時感じていた“やりがい”はどこにあったのでしょうか?
短期的にはマイルストーンや目標があるので、それらを達成してきちんと信頼を得ることですかね。また、自分が種まきをしたものが数年後に結果を出していることを実感できるとやりがいを感じていました。
組織の育成というのはすぐには成果が現れないのですが、それでも種まきをきちんとしていたら確実に成長していきますから。短期の視点ではその都度設定している目標の達成を目指し、中長期の視点では組織や個人の育成を考え実行する。その両軸を持つことが大事なんじゃないかと思っています。
──そして、現在のSPS JAPANに至るわけですね。アライン・テクノロジーのお仕事も非常にやりがいを感じていらしたように思えたのですが、その中で今回の決断をされたのはどのような点がポイントでしたか?
今回、日本市場に進出する案件ということでエージェントの方から直接お話をいただきました。正直、エグゼクティブMBAに通いはじめたばかりのタイミングでもあり転職のタイミングとしてよいかは悩みました。ただ、自分のこれからのキャリアやステップアップを考えたときに、セールスやマーケティングに直接関わる機会はこれまでなかったので、カントリーマネージャーとしてGTM (Go To Market)や新規市場開拓を行える機会はやってこないだろうと思い、転職を決めました。
SPS事業のグローバルでのベストプラクティスを取り入れ、現在は日本事業の立ち上げを行っています。既に日本のお客様との契約を開始していますが、それに伴い、SPS JAPANの人事、財務、法務、オペレーションなど、幅広い業務を立ち上げています。スイス企業が母体ですのでスイス大使館やスイス商工会議所などとも連携しており、こういったネットワーキングの機会も活かしながら、地に足をつけてビジネスエリアを拡張していきたいと思っています。
門戸を広くし、色んなことに興味を持つ
──駆け足でこれまでのキャリアについて伺ってきましたが、“現状に満足しない”という猪俣さんのフィロソフィーを感じました。
「現状に満足しない」というよりは、「自分で自分の運命をコントロールしたい」という思いが強いのかもしれません。私は在籍時期が重なっていないのですが、GEの経営者だったジャック・ウェルチが「Control your own destiny or someone else will.(運命は自らコントロールせよ。さもないと、他の誰かがコントロールすることになる)」という言葉を残していて。
その言葉が示す意味について、私自身も身に染みることがいくつかあったんですね。特に子育てをするようになってからは……保育園に子どもを長時間預けて仕事せざるを得なかったので、そうまでして働くことに納得感を持ちたかった。やりたくない仕事を嫌々やるのではなく、自分で納得して選んだ仕事をやりたいという思いが強くなったんじゃないかなと思っています。
──猪俣さんのように「出産や育児をしながらキャリアアップも実現したい」と願う女性も多いと思いますが、猪俣さんご自身にとってロールモデルのような存在はいましたか?
“ロールモデル探し期”みたいな時期もありましたが、結局「この人!」というロールモデルは見つからなかったと思います。これまで10人以上の上司と接してきましたが、みなさんタイプが違いましたし……みなさんと接する中で自分が良いなと思ったところを真似して取り入れてきた感じですかね。
「子育てと仕事を両立しているケースで良いロールモデルがいない」とよく聞くんですが、私はあんまり子育てを意識していなかった気がします。男性のメンターについていただいたこともありましたし、自分とプロフィールが似ている人ってほとんどいないので、「どういう風に自分は仕事をしていきたいか」という方向に考えを馳せたほうがいいのかなと、次第に思うようになってきましたね。
──組織をまとめる立場として、常に意識していることはありますか?
「自分のなかの軸をあまりずらさない」でしょうか。例えば組織がどんどん大きくなっていったアラインでのことを考えると……入社直後の組織の立ち上げ期と安定期にさしかかった時期を比べても、意思決定の軸はあまり変わっていなかったと思います。バックグラウンドで考えていることは多少違うと思いますが、基本的には1度決めたことは最後まで全うするように意識していましたね。
もちろん、うまくできるかどうかはやってみないとわかりませんが、やりきる覚悟というか……トップに立つ人間の微妙な感情の揺れって、周りから見てもわかってしまうと思うんです。それって日々の仕事に対しての不安に繋がってしまうので、とにかく「自分自身がブレないようにしよう」と気をつけていたとは思います。
──リーダーを目指す方にメッセージをいただけますか。
色んなことに興味を持ったり、色んな人とお話しすることがすごく大事だと思います。門戸は広くしておいたほうがいいのかなと、自分の経験から感じているので。あとは、「自分がやっていることって合っているのかな?」と不安を抱える時期も確かにあるんですが、その瞬間には結果というものが出てこないこともあるので……ただただ自分を信じてあげるしかないなとも思います。
──「色んな人とお話しすることが大事」とおっしゃいましたが、猪俣さんは元々人に興味があったのでしょうか?
ありましたね。学生の頃から1年で200、300人ぐらいの友達とネットワークを構築していました。ここ数年、「子育てとコロナ禍で人とのネットワークが維持できなくなった」と感じていましたが、それってきっと「自分の時々の優先度」次第でもあるのかなと思っているんです。それで一昨年、バケットリストを作ってみて……。
「100のやりたいこと」を書くなかで20個くらいしか出てこなかったんですが(笑)、そのなかのひとつに「MBAを勉強したい」というのがあって。以前海外MBAを検討していた時期もありましたが、ちょうど仕事が大きく飛躍した時期だったので勉強をストップしたままになっていました。昨年4月から実際に慶応義塾大学のエグゼクティブMBAプログラムを受講しています。そこに通う方たちはみなさん自分の意志で勉強しに来ているので、「こんなに学ぶことにガツガツした集団がいるんだ!」とビックリしましたし、新鮮な刺激を受けているんです。
繰り返しになりますが、色んなことに興味を持ったり、色んな人とお話しすることってすごく大事だなと大学院に通い始めて改めて実感していますし、そうやって得た経験がどこかで何かに繋がることだってある。線で繋がるというよりは、面で繋がっていくイメージでしょうか。何度か経験したことがありますが、これまでやってきたことのなかの、本当に些細なことでもピースがピッタリとハマるときがあって、「ああ、これまでの経験ってどれも無駄じゃなかったんだな」と感じることができるんですね。
産休や育休といったキャリア停滞期みたいな時期もありますが、それらも含めて「長いキャリア人生のなかの1コマなのかな」と、ようやく思えるようになってきました。大学院の勉強をしている私の横で、子どもたちもそれぞれの勉強をしているのを見ると、特にそういった繋がりを感じますよね。
──先ほども“門戸は広く、ご自身を信じてやりきる”というお話がありましたが、このエピソードからも、猪俣さんご自身がそれを体現されていることが本当によくわかりますね。素敵なお話をありがとうございました。