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ABWのプロが語る|ウェルビーイングにつながるオフィス空間とリーダーシップ
CBRE アドバイザリー&トランザクションサービス
ワークプレイスストラテジー
ノースアジア シニアディレクター
金子 千夏 さん
目次
ABW(Activity Based Working)とは、仕事の内容・状況にあわせて、最もパフォーマンスを発揮できる場所を各社員が自由に選択できるオフィス環境を示します。昨今、ABWに多くの企業が注目しており、導入を検討している企業も多いのではないでしょうか。社員の自律性を重視する側面から、コロナ禍において更なる関心を集めています。今回は、話題のABWを日本に広めた立役者である「金子千夏さん」にお話を伺いました。
変化の激しい時代において、金子さんはどのようなマインドやリーダーシップを基に各企業のABWを実現してこられたのでしょうか。金子さんの環境・空間づくりに対する深く熱い想いの原点や背景に迫りつつ、企業にとって重要なテーマであるウェルビーイングやダイバーシティ、リーダーシップなどの点からも興味深いお話をたくさん伺うことができました。組織としても個人としても、そして今後を担うリーダーとしても、多くの気づきとヒントを得られる内容ですので、ぜひ最後までご覧ください。
※金子さんの肩書はインタビュー時のものです
金子 千夏 さん 略歴
CBRE のワークプレイスストラテジーチームを率い、企業人の多様化した働き方を支える環境作りのためのコンサルティングサービスを法人向けに提供。2017年1月より現職;中国、香港、日本、韓国におけるこの分野のチームを統括。
1998年に米Perkins + Will建築事務所入社。その後世界最大インテリアデザイン社Gensler Japanにてデザインディレクターを務める。2014年にリードしたCBRE Japan本社オフィスデザインが業界の先端を行く事例としてグローバル的に注目を浴び日経ニューオフィス賞を受賞した。2014年にCBRE入社。
日本での再スタートを支えた原体験
――金子さんは日本に戻られる前にはアメリカにいらっしゃいましたが、まずはこれまでの経歴や原体験をお教えください。
生まれてすぐの5年間は父親の仕事の関係でフランスで過ごした後に一度日本に戻り、小学生の時だけ日本でした。それ以降はアメリカで教育を受けて大学卒業後にインテリアデザイナーになって働き始めます。その後33歳の時に日本に戻ってきました。
そうしたらもうすごい大変で!
アメリカで一生懸命がんばってきて手ごたえを感じていた時に日本に戻ってきたら、私がいかにアメリカナイズされているかが、想像以上だったんです。全然慣れなくて。 国も、事務所も、アイデンティティも変わり、全部ゼロからスタート。何も軸がないような不安に襲われていました。
でもそこで、インテリアデザイナーを選んだ元々の理由は、世界中どこでも出来るからということを思い出しました。小さい頃から色々な国に住んでいて、言葉ではなくてアートを通して文化を学ぶということに慣れていたんです。
例えば、ヨーロッパに行くと教会にたくさん絵が描いてあるじゃないですか。その絵を見てキリストはどうだったかを学ぶわけですよ。歴史の本では言葉の壁で十分に理解できなかったので、絵とか文化とかビジュアル表現に頼っていました。デザインであれば、理解もできるし、表現もできる。それをきっかけに、インテリアデザイナーを選んだんです。
ワークプレイスデザイナーへの転機
――日本に戻ってからは、どのように活動されたのですか。
日本に戻ってしばらくは、まずは東京に慣れようと考えてクライン ダイサムという外国人2人がやっているユニークな設計事務所に入りました。そこでは設計はせずに、PRやイベントのコーディネート等をしていたんです。
その会社がペチャクチャナイトというとても面白いイベントをやっていました。今は世界中でやっているようなイベントです。六本木の地下にある倉庫みたいなところにバーをつくって、そこで毎月さまざまなクリエーターが集まってプレゼンをします。私はイベントのコーディネーターとしてプレゼンターを集める仕事をしていました。
ペチャクチャナイトの素晴らしさは、どんなに偉い人でも、学生でも、みんな同じフォーマットで話すということ。皆は「アイデアのカラオケ」って呼んでいました。有名な一級建築士の伊東豊雄さんがプレゼンしてくれたこともあるんです!著名な方や雑誌に乗るような方々も来るし、学生が卒業論文について発表もするし、海外の人が話したりとか誰でもOKなんです。その時に誰のアイデアも同じくらいに価値があるということを強く感じたのを覚えています。
そこで、アートも勉強したけれど自分の作品は作っていない、自分でもやってみたいと思ってゲンスラーに入ってワークプレイスデザイナーになったんです。
空間が語るのは「結果」だけ
――ペチャクチャナイトの影響が大きかったのでしょうか。
ペチャクチャナイトを含めてクライン ダイサムで学んだことが、今でも重要な意味をもっています。それは「空間を説明するガイドブックは存在しない」ということ。できあがった空間に訪れた人が感じるものは、コントロールできません。どんな思いで作ったとか、こういうことを反映しているとか、誰も説明できないんです。
だから、その空間が言いたいことをストレートに表現していないといけない。そうでないと伝わらない。これこそがクライン ダイサムで教えてもらったことであり、彼らの作品がそうでした。
ワークプレイスを作る時には「企業の文化を反映した空間」を、説明や弁明などは一切なしで表現することが求められます。
これまでオフィスデザインに携わるなかで、関わる人が多くて損をしたりとか、社長がこうでとか言わたりして、だんだん変わってしまうデザインをたくさん見てきたけれど、出来上がってしまったら誰も覚えてないし、知らないし、関係ない、結果だけ。私はこの考え方がとても気持ちよくて、それをずっと追求しています。
空間づくりは「人」が入って初めて完成する
――世界中で空間やアートをご覧になって、特に印象残っているものはありますか。
考え方を含めて大好きだと思ったものがあります。イオ・ミン・ペイさんが作ったルーブル美術館のピラミッドです。シンプルで美しいピラミッドをモダンに表現していて、しかも逆さまになってそこから入っていく。すごくシンボリックだと感じました。
さらに感銘を受けたのが、ルーブルのピラミッドができた時にイオ・ミン・ペイさんがインタビューでおっしゃった言葉です。「僕はエンジニアとして作ったけれど未完成だ。なぜならば、このピラミッドに人が集まって美術館に入りアートに触れることで、やっとこのプロジェクトは完成するからだ」。
この言葉を聞いた時「私のフィロソフィはこれ!」となりました。場所を作るのは人が集まるためだと。今でもオフィスを作ると、美しいとか、企業の文化を反映しているとか、ブランディングとかもあるけれど、従業員の人が来てやっと完成すると思っています。
だから空間だけを撮った竣工写真だけだとつまらないかも知れません。そこに人が入ってイキイキ働いて、コミュニケーションを交わして、初めてでき上がるんです。
――空間だけではなくて、人の動きもデザインするということでしょうか。
私のなかでは、だれだれさんが朝来てこう動いてというのをイメージしながら、この場所でちょっと立ち止まってお話しする、だからこの辺ちょっと広めにとっておこうなど、具体的なシーンを思い描くことを大切にして設計しました。イメージ通りのシーンになっていると、 皆が気づかなくても見ている私は嬉しくなります。
オフィス空間は重要なマネジメントツール
――金子さんはコミュニケーションをデザインする、もしくは変えていくことを意識しているのでしょうか。
オフィス空間はマネジメントツールの一つだと思うので、場を作れば色々なシーンが可能になります。今は手軽にオンラインでコミュニケーションをとれますが、場の雰囲気でもっと盛り上がったり、もっと活性化したり。私は場のパワーというものを信じています。
リーダーシップの原動力
――読者の関心が高いテーマとして、リーダーシップについてお伺いしても良いでしょうか。
実はリーダーになりたいと思ったことも、人の上に立ちたいと思ったこともないんです。ただ、私は理想の未来を追いかけています。それがビジョンとなり、原動力となり、作りたい未来は一人では実現できないから、誰かと協力する必要があって自然とリーダーシップをとっていったんです。そこに周りの人たちが「一緒にやりたい、作りたい」と思ってついてきてくれていたのだと思います。
インスパイアされていたいという思いを常にもっています。世の中は必ず今より進化する、どんなに小さなスケールでも進化できることがあるから。
やっぱり一生を終える時、何か残したいじゃないですか。私にとっては働く場所を作って、従業員の方が活躍する場所を作る。それが私にできること。
その原動力はどの会社にいようが関係なく、自分の中にあるものかも知れないですね。
――その原動力はどこから湧いてくるのでしょうか。
思い返すと小さな頃から、場所を作れば人が集まってくることを信じていました。
母親はすごく料理が上手で家族でご飯を一緒に食べることが愛情表現でした。そこで美味しいご飯を作るキッチンってどんなとか、おいしく食べられる雰囲気ってどんなとかを考えるようになったのかも知れません。父親も管理職で大勢部下がいて、海外に住んでいた時にバーベキューに部下を呼んで、みんなで腹をわって話そうとかもしていましたね。そういう感覚が自然に身についたのかもしれないですね。
一番感受性の高いティーンエイジャーの頃にはハワイに住んでいて、ハワイだから中も外もないんです。建前や本音もなくて、みんなすごくオープン。その時が一番人を信頼できていて純粋に楽しかったですね。その雰囲気を作りたいと思っているのかもしれないです。
会社でも、業務上ではなかなかオープンに話せなくても、人柄が見えたりとか分かり合える場所があったらいいなと思います。
ビジネスにおける信頼関係構築の難しさ
――オフィスといっても業務をただこなすだけではなく、人が交わり、オープンになって違う自分を見せられる場所をつくるということでしょうか。
そうですね、信頼を築ける場所ともいえます。ただ、なかには困難な場面もありました。理想像が皆に受け入れられないことも経験していて、家族と同じように信頼するのは困難で、一定の距離感を保つことの大切さも学びました。
私自身もビジネス上で苦労した経験があり、ただ純粋にポーンと自分のドアを開けるというのは、大人になればなるほど難しいと痛感しています。
だからプロジェクトのリーダーや部長など、どのような立場であっても「リスペクトがあってこそのオープン」という考え方が企業やワークスペースには必要であって、それが家族とは違う点です。
ダイバーシティと社長のリーダーシップに魅力を感じて転職
――ゲンスラ―からCBREへ移ったきっかけはありましたか。
主に2つあります。まず、エグゼクティブコーチングに触れたいと思っていたものの、ゲンスラーはクリエイティブなユニットなので、組織のリーダーシップとかエグゼクティブコーチングのトレーニング等は提案していなかったんです。周りも皆さんクリエイティブな方でしたので、よりダイバーシティのある場所に入り込んでチャレンジしたいという思いが強まっていました。その時にCBREからお誘いがあったのが1つ目です。
もう1つがABWで社風をガラッと変えた社長のビジョンと、斬新でしかも全く恐れなく突き進む力強さと信念に感銘を受けて、この人についていきたいと思いました。社長が持っているビジョンを作るために協力できる部分があれば、ぜひと思ったんです。
空間と働き方の一体化によるウェルビーイングの実現
――CBREに移ってから今までの8年はいかがでしたか。
ABWというオフィスの作り方のメソッドを日本に紹介できた点は大きな成果だったと思います。PRや配信など様々な取り組みを行って、ABWという言葉が世の中になじむくらいになってきました。また日本だけではなくノースアジアでもABWを広めてCBREのオフィスをつくれたのも成果のひとつです。
ただ、まだまだやりたいことがあります。例えば、ワークプレイスコンサルティングという物自体が1つのビジネスとして、より自立したものにすることです。これまではコンサルティングは設計の延長線上に過ぎませんでした。
私が目指したいのは、本当の意味で空間と働き方を一体化させて、組織の活性化をお手伝いできるようなコンサルティングです。 まだまだ、これからです。
――現在、心身の持続的な健康を目指すウェルビーイングが注目を集めるなか、空間を作るだけではなくて働き方・活性化という観点から、新しい考え方やメソッドはありますか?
複雑化しているなかで、空間だけでも制度だけでもない、もっと包括的に全てがリンクした世界を作るわけです。ですので、元々インテリアデザイナーなのに経営や人事の話もしています。今までのABWは、個々のストレスを無くすことなど、個人にとってのメリットを考えてきました。これからは、組織としていかにイキイキするか。もちろん、そのためには一人ひとりもイキイキする必要があります。
ただ、多様化が進み価値観がバラバラになっているなか、組織がそれをどうまとめていくのか、組織としていかに成果を出すのかが問われています。そのためには、まず空間と人事制度、IT、一人ひとりの目標や価値観を合わせることが必要です。
ウェルビーイングの実現は体の健康だけでなく、生きがいを感じるかなども全て含むため、非常に高い目標だと思っています。簡単には答えは見つからないですが、少しずつやり続ければならないと思っています。
愛情を外に向けると原動力が沸いてくる
――金子さんは、どうして前へ歩み続けられるんでしょうか。
実はコロナ禍ですごく疲れて、モチベーションもインスピレーションも湧かずに沈んでいたこともありました。
でも何が変わったかというと、愛情を外に向けるようになったんです。
今までは、自分がデザイナーになりたい、自分がクリエイティブなものを作って表現したい、自分を認めてもらいたいなどがあったと思うんですよね。それが今は、お客様や部署、若手社員、家族、相手のことを思うと元気が出て来るんです。
たとえ一人で成功しても、シェアできなくては意味がないという思いもあります。
ダイバーシティの先で求められるリーダーシップ
――リーダーを目指す人たちに伝えたいことがあればメッセージをお願いします 。
今、ダイバーシティや自由に自分らしくという言葉が流行っているなかで、とくに若い世代に伝えたいことがあります。
今の時代と環境が、いかに幸せであるかを分かっていて欲しいですね。なぜなら、私は今のような時代に生きていないからです。女性としてキャリアか家庭かを選ばなければならず、両立はできない時代でした。どちらかを取るという時代がずっとあって、私の前の女性たちも苦労して道を切り開いてきたんです。
今の一部の若い世代は、今の環境を当たり前のようにとらえて、自分のいいように使っているのが残念なんです。もっと真剣にありがたみを受け止めて、今の環境を作ってくれている企業に対して貢献をしてほしいし、認識して頑張ってほしいと願っています。今の時代を築いてきた世代の方のなかには、残念に思っている方もいるのではないでしょうか。
ここに気づいてもらうためには、私たちのような世代が教えなければいけないのですが、そのやり方が難しいですね。
例えばおじいちゃんやおばあちゃんから孫まで一緒に住んできたっていう人たちはアンテナがある程度は高いけれど、自分の世代や自分の世界だけで盛り上がっている人だと視野が狭いと感じます。海外に行っていないというのも同じです。そもそもアンテナを張っていないし、分からないし、気づけないんです。
でも、もし分からないままでワークプレイスコンサルをしたら、企業の役員の人たちの意見を聞く時に言葉の重みが分からずに終わってしまいます。表面的に片づけてしまうんです。
これでは寂しいので、もう少し多くのことに触れるってことが大事だと思います。これこそダイバーシティですよね。色々な意見や考え方に触れて、自分はそれに対してどう感じているかとか、知らなかったから学んでみようとか、オープンに吸収していく。まずはここからだと思います。
ワークプレイスの中でもそういう対応ができる場所を作りたいし、時間も作りたいなと思いますね。
あとは、ダイバーシティを重視して様々な意見や人材を集めて議論をすればイノベーションが起こるとはいうものの、バラバラな意見をまとめてビジネスとして成功させるのは、非常に難しいですよね。私もとても苦労しています。
ダイバーシティなので、皆が色々なことを言いますし、それぞれの違いをリスペクトすべきです。だけど「そこからどうするの? 」となってしまいます。ここを上手くまとめて成果につなげるのが、今後求められるリーダーシップですよね。
諦めない覚悟と、時間・労力のかけ方
――大変な状況でも金子さんは前向きにとらえているようにも見えます、これも覚悟の表れでしょうか。
覚悟については、無理やり親に連れられて海外に行き、その先で何とかしなければと苦労した積み重ねのアウトプットだと思います。選んだからには、成功するまでは絶対に諦めないという覚悟もあります。日本に戻った時が一番大変でしたが、選んだ自分の責任でもあるし、かけた時間と労力をもったいないことにもしたくなかったんです。
ウェルビーイングもそうですけれど、ネガティブをゼロにする時間と労力、ゼロをプラスにする時間と労力、同じ時間と労力ですよね。だったら時間と労力は何かをプラスにするために使いたいし、成功させたら、次ができるから。もちろんその中で犠牲もたくさん払っているし、周りの人も「あいつは勝手に突き進んで・・・」と思う人もいると思うんです。
ただ、周りに気を配り過ぎて忖度したり、全員をハッピーにしようとコンセンサスを取るばかりになった状態でつくったプロジェクトで、良いものが出来たことはありませんでした。たくさんの要素を入れ込むと「結局、何が言いたいの?何がしたいの?」となって、平凡なものにしかならないし、長持ちもしないんです。
――それはどんなプロジェクトでもありがちですね。素敵なお話をありがとうございました。
【編集後記】企業と社員をともに幸せにするABWを推進・実現されてこられた背景には、金子さんご自身の原体験や大切にしている想い、そして覚悟に裏づけられた力強いマインドがあることがわかりました。金子さんの創造的かつ明確なビジョンや前向きな姿勢に共感や賛同が集まり、自然にリーダーシップを発揮されているのだと思います。(CBRE社のABWについてはこちらをご覧ください)
※なお、金子さんは、現在CBRE社を離れ、新たな次のチャレンジに挑まれています。