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自身にもチームにも、つねに問いかけるのは「自分がやっている仕事の意味」
バイオジェン・ジャパン株式会社
コンプライアンス本部 本部長
村上剛広 様
目次
ワーキングホリデー制度利用や商社に転職した時期があったものの、大半の時期を製薬業界に投じてきた村上さん。社会人になる際に抱いた「人のためになるような仕事をしたい」という思いはMR時代から変わらず、コンプライアンスを司る現在にも繋がっているとのこと。キャリアを辿りながら、その思いをお伺い致しました。
<村上剛広さん 略歴>
1994年 日本イーライリリー入社 MR
2000年 ニュージーランドワーキングホリデー
2001年 エネルギー系商社入社
2002年 日本イーライリリー入社 MR
2005年 DSM(営業課長)昇進
2011年 シックスシグマ ブラックベルト
2013年 抗うつ薬マーケティング
2016年 倫理・コンプライアンス
2018年 米国本社 倫理・コンプライアンス(Short Term Assignment)
2023年 バイオジェン・ジャパン入社 コンプライアンスオフィサー
「儲け」が最優先のビジネスモデルは自分に合っていない気がした
──村上さんは1994年に新卒で日本イーライリリーに入社されていますが、なぜ製薬会社を選んだのでしょうか?
その時にはあまり深く考えていなかったと思うのですが(笑)、人のためになる仕事だと思いましたし、外資系なので活躍できる舞台が広そうだなという、なんとなくのイメージでした。実際にMR(中枢神経領域・糖尿病領域を担当)として働いてみても、自分の会社が届ける製品を通じて、できなかったことができるようになった患者さんの話をドクターから聞くことで「ああ、人の役に立っているんだな」といった実感を得られましたね。自分の仕事の意義をダイレクトに感じることができる現場でした。
──6年ほど働いたのち、ニュージーランドのワーキングホリデーに行ったのはなぜだったのでしょうか?
会社や仕事に不満があったとかではないんです。なんとなく「このままずっとこうやって働いていくのかな? 一旦いまの仕事から離れてリセットするのもいいかもしれないな」と……なんの確証も自信もなかったんですが、会社をやめてニュージーランドへ行きました。朝は語学学校へ行き、昼からサーフィンをして、夜は鉄板焼き屋でシェフをするという生活でした(笑)。
日本にいたときには「この1か月、この1年でなにを成し遂げたか」みたいなことが振り返りのサイクルでしたが、ニュージーランドでは「今日はあなたにとってどんな1日でしたか?」といったことのほうが大事でした。地に足をつけて1日1日を過ごしている彼らの姿に感銘を受けて、「自分もこんな風に軸をもって生きたいな」という思いが強くなりました。
──ニュージーランドでの1年を経て、日本の商社に入社したとのこと。
製薬会社のMRとは違う業種で違う仕事をやってみたいと思って、エネルギー関係の商社に絞って転職活動をしました。ニュージーランドって全然ガスが出ていなくて、空気がキレイなんですよね。人口が400万人弱(2000年当時)ぐらいしかいないというのも理由のひとつかもしれませんが、「なぜ環境負荷が少ないんだろう?」と興味があって。そういう意味でも、エネルギー関係に行きたかったという思いがありました。
それで、核燃料や再処理プラントの機械の輸入をやっている日本の商社に入りました。仕事自体はとてもダイナミックで面白かったです。でも、商社としては当然のことなのですが、「1円でも多く儲けるにはどうしたらいいか」を考えるビジネスモデルが自分には合っていないような気がしてきて。ちょうどその時期に前職の上司から声をかけて頂いて、イーライリリーに再入社することになりました。
──再入社して、MRに復帰された?
そうですね。当時は中枢神経領域のMRとして、統合失調症やADHD、うつ病などの製品を担当していました。先ほどもお話ししたように、自分が担当している製品を使用した患者さんの治療状況が改善されたことをドクターからうかがうたびに、私自身もすごく嬉しい気持ちになりますし、仕事にやりがいを感じました。
若くしてDSMに抜擢。部下が成長していく姿を見るのが楽しかった
──再入社から3年経って、今度はDistrict Sales Manager(地域営業課長、DSM)に抜擢されました。かなり早いタイミングだと思いますが?
年齢的にも早かったと思います。なぜ私に声がかかったのかわからないんですけど、再現性のある業績があるかどうかはもちろん見られたと思います。……いまは考えてから動くようにはなりましたが、当時はとりあえずやってみるところがありました。やりながら考えて、ダメならすぐ軌道修正する。失敗することを恐れない、腹が据わっているようなところがあったのかもしれません。あとは自分の営業スタイルややり方を、周りに伝播させるような影響力がある程度は備わっていたんだと思います。
──DSMになって大きく変わったところは?
すべて、ですね。同じ会社で同じ製品を世の中に送り出しているはずなのに、管理職になったことで自分の仕事はがらっと変わるんです。自分で直接顧客に会って提案していたところから、自分は現場に直接関わることなく、チームのメンバーを通じて成果を上げていくスタイルに変わるわけですから。最初は「あれ? 同じ会社にいるのに、全然違う会社に来たみたいな感覚だな?」と、不慣れな環境に戸惑うこともありました。
──名古屋で1年半、東京で5年、計6年半のあいだ、DSMとしてチームを率いていたなかで感じたことは?
いま振り返れば、この6年半が一番楽しかったような気がします。やっぱり私は、先ほど患者さんのお話もしましたが、“できなかったことができるようになる”姿を見るのが嬉しくて。自分が関わることによって、部下もできなかったことができるようになって、それで先生にも喜んでもらえて、業績も上がる。それがすごく楽しかったんですよね。
もちろん、チームにはいろんな人がいるので問題も起きますが、誰にでも公平に、自分の信念を曲げずに毅然とした態度でいることが大切だと実感しました。人というのは少しのきっかけで気の持ちようが変わりますし、それによって仕事の仕方も変わり、自己変革する様子も見てきたので。自分の関わり方や振る舞いが人にもたらす影響というのを強く感じた6年半でした。
──その後、Six Sigmaの部署に異動されて。
声をかけられたときはそんなに抵抗もなく「チャレンジしてみよう」と思ったんですが、営業に10年以上いた人間がいきなり本社業務に就くということで、アプローチの仕方や仕事の進め方が営業時代とは全然違って、最初はかなりもがきました。それにもだんだん慣れてきたと思った頃に、今度はマーケティングの仕事に異動となり、自分の原点に戻ったわけです。
──原点というのは?
マーケティングとして様々なリサーチや分析をして、患者さんとドクターの声を聞き、「患者さんが解決できていない問題はなにか」といったところを掘り下げて、自分たちにできる部分がないかを考える。薬を届けるだけではなく、患者さんが薬を服用しながら前向きな人生を送っていけるために自分たちはなにができるかを考えマーケティングプラン立案と実行を行うことが当時担当した製品のマーケティングの仕事でした。それはまさに、社会人になるときに理想としていた「人のためになる仕事」だと思います。
当時の上司が厳しい人で、「あなたはこれもできていない、あれもやらなきゃいけないのにできていない」とかって散々言われたんですね。でもそんな中に「本当の患者さんの声を理解して応えることができたら、あなたは世の中を変えられるよ」という一言があったんです。いろいろ言われてムカッとすることもありましたが(笑)、その一言があったから「それだったらやりたいな。頑張ってやってみようかな」という気持ちになれて。
営利企業ではありますが、そういった思いがモチベーションになっていましたね。「売ろう」という気持ちだけでは、患者さんのインサイツに寄り添った仕事ができなかったと思います。それはいまのようなコンプライアンスの仕事をしているうえでもベースになっているところです。その製品がのちに600億円を売り上げる製品に成長したことはとても感慨深いですし、今ではその上司から学んだことを人に教えてます。
自身の「得意なこと・苦手なこと」を明確にする意味とは?
──2015年にコンプライアンスの部署に異動ということで、まったく環境が変わったと思いますが?
実は、自分には向いていないと思って最初は断ったんです。それでも異動することになったのですが、営業とマーケティングの実務を経験してからコンプライアンス本部に異動した人物というのは、私が初めてでした。だからこそ、私にしかできないアプローチがあるのかもしれないと気づき、やるべきことが見えてきました。
それに、1テリトリー、1製品、1ディストリクト、1領域だけでなく、会社としてどう意思決定をして、どう会社をまわしていくかという局面に参加させてもらってサポートできるというのは、これまで以上にビジネスをしている感覚が強くて、どんどん楽しくなっていったんです。
──そして今年(2023年)4月に長く在籍したイーライリリーから現職のバイオジェン・ジャパンに転職し、コンプライアンスオフィサーという役職に就くことになったのですね。
長く同じ会社にいると、やっぱりすごく仕事がやりやすい。そこに甘えている部分が自分のなかにはあるなと思って、違う環境で違う人に対して自分が貢献できることはないか、チャレンジしてみたいと思ったのが転職のきっかけでした。いままでお話ししてきたように、キャリアの話といっても与えられたものをずっとやってきて、いまに辿り着いているだけなんですよね。初めからポジションやタイトルにこだわって目標を定めてきたわけではないので……。
ただ、一貫して現場を大事にしてきて、最後の顧客のところをずっと見てきました。そこはいまでも変わりませんし、それがあったからこそ吸い寄せられるようにいまのポジションにいる。ただそれだけなのかなと思っています。
──村上さんが用意してくださったプロフィールに、「得意なこと」と「苦手なこと」が記されていたのが印象的でした。
「自分を知る」というのが一番大事なことだと私は思っています。周りの人から「あの人はこれが得意だから、この仕事が向いているだろう」と客観的な評価に基づいて声をかけてもらえる。私はそういった“人から見える自分”と“自分が考える自分”の両方を把握しておく必要があると思っているんです。
──そういう意味でプロフィールに「得意なこと」と「苦手なこと」が書いてあるのですね。
そうなんです。それをふまえて、「得意なこと:複雑なことを整理する問題解決、対話」ですが、私は長い議論になりそうなときには「こっちかこっちだったら、どっち?」とか「結局のところ、今日はなにを決めたいの?」とかって先に整理するタイプなんです。これは経験則で、そうやって整理してもらうのが私にとっては心地よかったから自然と自分もやっているんだと思います。
その整理が終わって各論に入っていったら、一番クリティカルだと思うところは思いっきり突き詰める。突き詰めるところはとことん突き詰めて、それ以外のところはあんまり気にならなくなっちゃうんです(笑)。
──それが「苦手なこと:細かすぎる段取り(取扱説明書、レシピ)」に繋がるのですね(笑)。
そうなんです。細かいことが本当に苦手なので、最初から「苦手です」と自己開示をして、得意な人にサポートしていただくようにしています。「こういう細かいことは抜け落ちてしまう可能性があるから、放棄するわけではないけれど、その可能性があることを知っておいてください」とチームに周知しておきます。そういう意味でも「苦手なこと」を自分から言うようにしています。
──「成し遂げたいこと:働く人が自分の仕事に誇りを持って、イキイキと人生を送れること」とも記されていました。
コンプライアンスの仕事に携わっているからというだけではなく、これはどんな仕事でも言えると思いますが、例えば製薬会社であれば生命関連企業であることに誇りをもって、どんなときでも自分の仕事の説明ができる方が良いですよね。「いま先生としている話を、そのまま患者さんにできますか?」ということ。そこがハッキリしていれば自分の仕事に誇りを持てると思いますし、イキイキと自分の仕事に向かうことができますから。
そうして自信をもって仕事をしてもらいたいんです、と伝えることにいまは重きを置いて取り組んでいます。新卒だけでなく中途入社の方にも当てはまると思いますが、スキルアップを求めて会社に入るのはもちろん目的のひとつではありますよね。でも、それだけのために会社に入る人ってあんまりいないと思うんです。ただ、「この会社に入って、こんなことを実現したい」と思って入ったとしても、日々の業務に忙殺されて、そこが見えなくなってしまうこともあると思います。そういう意味でも、社員がそれぞれ自分がやっている仕事の意味をつねに意識できるように導くことは、会社のマネジメントとして重要な仕事だと思っています。
それぞれが“仕事の意義”を見出せるようなサポートをするのがリーダー
──リーダーとして、人を動かすために意識していることはありますか?
基本的なことですが、全員に同じアプローチはしない。10人のチームがあったとして、全員がトップパフォーマーになるのは難しいので、お互い同士が良い部分を学び合えるような、緊張感をもっていい刺激を与え合えるようなチームになるように、あえて戦略的に動くこともあります。
例えば、なかなかパフォーマンスがあがらない、従来のやり方を変えられないベテランの人がいたとします。そういう人には直接なにかを言っても、どうしても伝わらないことがあったりするんですよね。その場合は、入社したての人に手取り足取り教えて、それをわざと聞こえるようにやるんです。そういったことを続けていくうちに、新人がどんどん吸収して成果を上げていくようになっていくと、ベテランの人は「やばい」と思い始めて私が新人に教えたことをこっそりやってみたりする。その結果ベテランの人の成果が上がって自分のものにしてくれたら、過程はなんでもいいんです。そうやって、戦略的にマネジメントしていくことで、チーム内に良い刺激を与えることは意識していました。
もうひとつのパターンとしては、先ほどの話と重なりますが「なんのために自分は仕事しているか」を考えられるように促すこと。
業績が上がらなかったMRに「ドクターに薬を売りつけようと思ってない? それではダメだよ。自分の家族や親戚が入院しているつもりになって心配してる? 患者さんたちが入院したあと、どんな様子か気にしたことある? きみは病院に販売に行くんじゃない、お見舞いに行くんだよ」と言ったんです。そうしたら、そのMRが先生と話す言葉が少しずつ変わっていって、業績も飛躍的に上がったんです。あのケースは、自分のマネージャーとしての成功体験にもなりましたね。
──それぞれの性格を理解しないと、そういった舵取りはできませんよね?
なんとなくの感覚で自然と学んでいった部分もありますが……管理職って孤独ですよね(苦笑)。評価者である以上、不満を抱かれることもありますから、マネージャー同士で「こんな人にはどうしたらいいかな?」とか「こういうときはどうしてる?」みたいな話は結構していました。
──村上さんが仕事に向かう際に大切にしていることはなんでしょうか?
最近は特に、Aという仕事とBという仕事のどっちをとるかといったら、より意味のあるほうを選ぶようにしています。偉い人がAと言ったから、自分もそれに従うだけでAを優先したら人はついてこない。「どれだけの人にインパクトを与えるか、どれだけの人に良いことを提供できるか」といった判断基準で決断するようにしています。いまは特にそういった視点からチェンジマネジメントをしていく部署に所属しているので、同じ時間を使う仕事に対して優先順位や選ぶ基準がより明快になっていますね。
若い頃は目の前にあるタスクを仕上げなければいけないと思って、いつ終わるかもわからない仕事を必死にやって、気づいたらとんでもない時間をかけていた、みたいなこともありました。そういった時間の使い方って、自分もしんどいし、周りにも迷惑がかかりますよね。いまは仕事にとりかかる前に「なにに対して、自分はどれだけの時間を投資するのか」ということを考えたうえで、やるべきことを選ぶようになってきていると思います。
──改めて、リーダーに必要な資質はなんだと思いますか?
チームの人たちって、細かい発言も含めて全部聞いていますから、裏表や「ここだけの話」なんて絶対にありえないですよね。だからこそ、発言には本当に気をつけないといけないと思います。コンプライアンスの仕事をしているからでしょうか、会社の誰かが不幸な目に遭わないように、「守ってあげるために、なにができるだろう?」ということはすごく考えます。現場を知っている私としては、「はい、違反です」とバッサリ処分されるような苦しさを味わってほしくない。処分された社員が家族にどう話すのかを想像しただけで、いたたまれない気持ちになりますから。
そうならないためにも、問題が起こらないように自分がなにかしてあげられることはないかを日頃から考えています。話が先ほどから重複していますが、やっぱり“自分がやっている仕事の意味”をつねに意識してもらうことかなと思います。バイオジェンで言うと、進行性の疾患である神経難病と闘っている患者さんがたくさんいるなかで、我々の製品を届けることで1日でも早く、ひとりでも多くの方の症状やQOL改善の手伝いがしたい。そういう思いで自分たちは仕事をしているんだ、といった“仕事の意義”を見出せるようなサポートをしてあげるのがリーダーとして必要な観点だと思います。
それに、いま私はベラベラと喋っていますが(笑)、喋るだけではなく、きちんと聞く耳を持ったリーダーでいるべきだと思っています。問題を特定することができなければ解決することもできませんし、自分が持っている答えなんて、所詮自分の経験でしかないので、わからないことは素直に「わからない」と言うべきで、わかっていることでも「この範囲でしか自分はわかっていないんだ」と認められる人が時代の変化にも対応できて、変化をリードできる人なんじゃないかと思います。
──“自分がやっている仕事の意味”を意識させるというのはリーダーだからこそできる役割かもしれませんね。エンゲージメントを高めるうえでもリーダーがその観点を持っていることが今後はより重要になってくるのではないかと思います。ありがとうございました。