leadership-insight
リーダーシップインサイト

- ホーム
- リーダーシップインサイト
- アサーション再考~ノン・アサーティブな日本人
アサーション再考~ノン・アサーティブな日本人

アサーションの我が国での普及とアサーショントレーニング
アサーションの必要性は長らく言われてきたが、ますますその重要性が増していると感じる。
アサーションとは、ひと言では日本語にしにくい言葉であり、「自己主張」と訳すとそれは別の、どちらかというとネガティブなイメージを持つ方が多いのではないだろうか。
代表的な定義は「相手のことも尊重しつつ、自らの意見を率直に表現するコミュニケーションの方法」ということになる。
日本では、アメリカの「人権擁護」、「差別撤廃」運動のから始まったアサーションを、いち早く学び90年代初めに書籍化が始まった平木典子氏の著書(たとえば「アサーショントレーニング」(日本・精神技術研究所))が、いまでも教科書と言ってよく、その後の本もトレーニングを行う団体も皆その流れにあるのではないだろうか。
そのコミュニケーション理論のポイントは、3つのタイプに分け、
- アグレッシブ(攻撃的自己主張):自分のことだけ考えて他者を踏みにじるやり方
- ノン・アサーティブ(非主張的):他者を優先し、自分のことを後回しにするやり方
- アサーティブ (自己表現) :両者の黄金律であり、自分のことを考えるが、他者をも配慮するやり方
筆者はアサーションに関する専門家ではないので詳しい訳ではないが、アサーショントレーニングはいかに、攻撃的自己主張にならないように、きちんと主張していくかを念頭に行われていると理解している。
そのため、例えばアンガーマネジメントとも結びつき、怒りを抑え、いかに攻撃的にならずに冷静に自分の主張を行うことを実践するために、次の4つのステップを踏むことが必要だとする。
ステップ① 事実を客観的に伝える
ステップ② 考えや気持ちを伝える
ステップ③ 解決策を提案する
ステップ④ 相手に選択肢を与える
これなら、どんな立場・関係の相手であっても、相手を怒らせるたり、傷つけたりすることなく、自らの主張ができるということだ。
アサーションが必要とされる背景
それによって一方的で攻撃的な自己主張にならず、パワハラの可能性を低めることができるだろう。
たとえば、会議で上司から発言を求められた若手社員が、思いつきで発した不用意な言葉に対して、上司や年長の社員から様々なダメ出しを受け、「思いつきでモノを言うな!」「もっとよく考えて発言しろ!」「ちゃんと裏付けを取ったのか!」「ロジックをきちんと組み立てろ!」などなどの言葉が浴びせられる。
すると、その社員は完全に萎縮してしまい、こう思うはずだ。
「発言しろというからアイデアを話したのに…、もう二度と意見など言うものか。言われたとおりやっていたほうが無難だ」
このように、年次や役職が「上」の人にものが言えなくなる。あるいは、どうしたら上司に受け入れられそうな「正解」を必死に探し、それを置きに行くという思考になる。
かなり前の銀行大再編の話で、役職の上下なく、さん付けで呼び合い、意見を交換し合うことが当たり前の自由な社風で知られた銀行があった。さて、吸収合併により上司が合併先の人となり、会議で以前のように自由に意見を述べたところ、その上司からこう言われたそうだ。「会議は決定事項を伝える場で、出席者が意見を言う場ではない」と。
筆者も以前某地方銀行で(ちなみに筆者が社外取締役をしているところではないということは申し上げておく)支店長研修を依頼された際に、人事担当から絶対に守って欲しいと言われたことがあり仰天した。
「グループワークはNGです。次のリーダーとなるべく競っているお互いの手の内を晒すことになりますから。また、講師から参加者への質問もNGでお願いします。質問に対して下手な答えをしたり、答えられなくて恥をさらさないためです。一方的に講義を行い、質問も受けず終了してください。」
その時に、筆者は日本の教育の負の側面をそのまま会社に入ってからも、しかも、幹部社員にも適用していることに暗澹たる心持ちがした。
それは、テストで良い点を取れば、別に授業で発言しなくても良い成績が取れるし、偏差値の高い学校にも入れる。下手に、発言などして目立つとイジメの対象になるかもしれないし、他の生徒のことは知ったこっちゃないし、一緒にやる必要もないし、無駄なエネルギーを使う必要はない。
世代論で決め付けるつもりはないが、殊にZ世代など若い層は、失敗を極端に恐れ、「正解」が分からない場合は口をつぐむ、という感想をよく耳にする。また「自己主張の強い奴」という悪目立ち、ネガティブな評価を受けることは絶対に避けたいはずだ。
これは、学生や新入社員、入社して間もない社員などと接していて筆者も感じることだ。
その一方で、自己肯定感が強く、仲間同士ではマウントを取る、というのも特徴だと言われているから、一筋縄ではいかないのだが。
このようなことを避けるために、若手社員だけでなく、その上司もアサーションを理解し、身につけるというトレーニングは有効であろう。
筆者は長年公立小・中・高校の校長を始め先生方への研修もやらせてもらっており、英語学習より大切なのは、自国の素晴らしさを知りそれを語れるようにすること、そして、自分の意見を持ち表現すること、をお願いし続けているのだが…。
グローバルスタンダードは?
一方で、海外に目を転じるとどうだろうか。
我々が目にするのは、ロシアにしろ、北朝鮮にしろ、アメリカにしろ、イスラエルにしろ、etc. 国のトップの言動は、上記のような意味のアサーションではなくて、アグレッシブ(攻撃的自己主張)なのは明らかだ。自国の都合ばかりを相手に、そして他国に押しつけているばかりだ。
彼らにこそ、アサーショントレーニングを受けてもらいたい、ではないか。
いったい、どうしてそのようなことがまかり通っているのだろうか。
筆者の経験をお伝えしたい。
最初のキャリアはメーカーで、インド担当であった。初めて出張に行って驚かされたのは、とにかく誰も彼も例外なく自己主張が強く、巻き舌であれやこれや執拗に要求してくる、ということだった。
その後法務部門に異動し、中国との契約交渉に立ち会ったが、日本の常識では考えられないようなことを声高に要求してくる。前回合意したことも簡単に覆す。こちらがその点を指摘すると「友好的でない」と言われ、閉口したものだった。
更に、日米半導体協定の担当になり、アメリカの通商代表部の自国産業を守るために、一見ロジカルのようで屁理屈をこねて、有無をも言わさず要求を突きつけ、要求通りに日本のメーカーを動かそうとするやり方にも翻弄させられた。
更に、ビジネススクールに留学すると、英語も得意でなく、話の展開について行けず、クラスで発言できないことが続くと、期末テストでの挽回は不可能で科目の単位を落とされてしまう。次の学期さらにその次の学期に挽回すべく、とにかく最初に質問する、意見するということでなんとか切り抜けられたが、だんだん理解出来るようになると、ネイティブの学生も別に皆が素晴らしい発言をしている訳ではなく、自分勝手な、見当違いも多いことを堂々と主張しているのだ、ということに気付くようになった。
そう、彼らは教育においても、小さい頃からディベートを行うことに慣れており、常に自分の意見を持ちそれを表現するということが普通なのだ。その彼我の差をまざまざと思い知らされた。
コミュニケーションの理論では上述のとおり以下のように3つに分けるが、
(1)アグレッシブ
============================
(2)ノン・アサーティブ
============================
(3)アサーティブ
海外のリアリティ、グローバル・スタンダードは
(1) アグレッシブ
(3)アサーティブ
============================
(2) ノン・アサーティブ
だと、筆者は経験から体感している。
つまり、自己主張するという点で、アグレッシブとアサーティブは同類であり、違いはそのスタンスや表現方法の違いだけだ。
それより、ずっと大きな溝が横たわっているのが、ノン・アサーティブ、との間だ。
自分の意見を持とうとしないのは仕事や自国のことを自分ごとにしていない、と見なされるし、自分の意見を主張しないのは相手のいいなりになるという暗黙の了解だと相手はみなしてしまう、ということだ。
冒頭の各国トップの、主張はアグレッシブだが、それでも、ノン・アサーティブよりもずっといいということだろう。そうでない国は「パッシング」されるだけだ。
お隣の韓国の尹錫悦大統領の弾劾訴追に関して、弾劾要求を行うまたそれに対抗する支持者の両方が大規模なデモを行った。我が国では首相の退陣を求め、あるいは支持してデモが行われるなど、現代では到底考えにくい。
デモには、多くの20代や10代の若者も参加しており、日本では報道されないがそのあり方は民主主義のお手本、と海外から評価されているそうだ。
なぜか?
ある韓国人に訊くと、それは、長らく自由を封じ込められてきた歴史から、国民一人ひとりが自国や自由を守るという意識が強烈にあるからそうだ。それをデモという手段によって「主張」しているのだと。
その韓国人から逆に訊かれた「どうして新札を発行することに日本人は誰も反対の声を上げないのか?新札要りますか?そのために莫大な税金を使うのに」と。日本人は起こったことに「ま、いっか」と一人ひとりの中に封じ込めてしまうのではないか?韓国なら間違いなくデモが起こっている。
日本人いつまでノン・アサーティブなのか。そのことに危機感を持つのは私だけだろうか。
この記事を書いた人
小杉 俊哉
株式会社インヴィニオ
顧問