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広告・宣伝の最前線から企業の“人”を支え育てるリーダーへ|キャリア形成の軌跡
株式会社 ADK ホールディングス
ラーニング&ディベロップメント局長
兼 ピープルアクイジション局長
齊藤 安司さん
目次
働き方の多様化が進む昨今。「やりたいこと」「できること」「周囲から期待されること」など様々な観点が頭をよぎり、自らのキャリア形成に頭を悩ます方も多いのではないでしょうか。
今回は、株式会社 ADK ホールディングス ラーニング&ディベロップメント局長 兼 ピープルアクイジション局長「齊藤 安司さん」へお話を伺います。
齊藤さんは、大学時代に抱いた「広告・宣伝に携わりたい」という想いを大切にキャリアを築いて来られました。転職が今ほど一般的でなく、より困難であったバブル崩壊後の当時に2度の転職を経験されています。
そして株式会社アサツー ディ・ケイへ入社、アカウントエグゼクティブ(営業)を経て2012年からは人事部門へ。広告・宣伝で培われた知識やスキルを活かしつつ、2016年には手掛けられた採用企画「相棒採用」がHRアワードで優秀賞に選出されました。アサツー ディ・ケイの持株会社化によりADKホールディングス所属となった現在では、採用・育成・キャリアの3グループを統括するラーニング&ディベロップメント局 兼 ピープルアクイジション局の局長を担っておられます。(注:インタビュー後、2023年7月1日付で、ピープルアクイジション局長の専任となっていらっしゃいます)
こうしたキャリアを築いてこられた背景には、どのような想い・出来事があったのでしょうか。また社内外を問わず環境の変化が著しい今、企業の要である“人”を支え育てる立場としてどう取り組まれているのでしょうか。
企業の人事を担うリーダーや担当者はもちろん、キャリア形成に悩む方にとっても多くの気づきとヒントを得られる内容となっていますので、ぜひ最後までご覧ください。
齊藤安司さんプロフィール:
1989年 PARCOグループ入社 調布パルコにあるホテルマンとしてキャリアをスタート
1995年 大手マンションデベロッパーのハウスエージェンシー に営業として転職
1999年 株式会社アサツー ディ・ケイ 国内クライアント営業部署に転職
大手飲料メーカー、大手精密機器メーカー、旅行代理店、「.com系」企業多数担当
2007年 外資系クライアント営業部署に異動 外資系のアイケアブランド、エアライン担当
2012年 人事部門に異動。中途採用・新卒採用担当
2017年 新卒「相棒採用」ローンチ、教育制度刷新、キャリア開発制度刷新、同年人財開発局長就任、現在に至る
※インタビュー後、2023年7月1日付で、ピープルアクイジション局長の専任となっていらっしゃいます
ホテルマンから宣伝・広告の最前線、そして「採用・育成・キャリアを支える立場」へ
ーまずは、今までどのようなキャリアを歩んでこられて、現在はどのようなお仕事をなさっているのかを教えてください。
社会人としてのスタートはホテルマンからでした。かつての西武セゾングループに属するパルコグループへ新卒で入社したんです。パルコは当時、かなり先進的なすごく面白い広告を展開していたので入社したのですが、初配属は調布パルコの上層階にあるホテルでした。バブルだった当時、店舗の上に立てたホテルの宿泊フロントや宿泊販促企画を行うホテルマンの一期生という位置づけです。
当時は今のように転職が当たり前の時代でもなかったので「やるしかない」と奮起して取り組みました。主任やアシスタントマネージャーの道も見えてはいたのですが、やはり「広告・宣伝に携わりたい」という気持ちが強くなりました。
それでバブル崩壊後の転職市場に出て、大手マンションデベロッパーのハウスエージェンシーに転職をしました。その後は3年ほど経験を積むなかで「不動産以外の広告・宣伝も手がけたい」と考えたことをきっかけに、当時の株式会社アサツー ディ・ケイへ2度目の転職をしました。
「広告・宣伝をしたい」という想いがあったので当初は花形である営業からスタートしました。1999年に入社して国内のナショナルクライアントの担当営業をおよそ7年間。2007年頃から外資系営業を担当する国際本部に異動したことで、広告宣伝からマーケティングの世界へも足を踏み入れました。
そこから2012年に人事部門に異動となったことをきっかけに、人事に深く携わることになります。正直はじめは「人事??」といった印象でした。
当時はバブル崩壊が落ち着いて売り手市場に変わりつつある頃で、転職市場が活性していました。一方で当時の採用体制は旧態依然でしたので「せっかくだったら色々なやり方を試したい」という想いからスタートしています。そこから足掛け12年で今に至ります。
新卒や中途など採用全般からスタートして、新卒では採用計画も作成しました。2016年には、応募者が選考を受けたい社員を逆指名できる「相棒採用」がHRアワードで優秀賞に選ばれました。
あわせて社内教育にも注力すべく、2017年頃は形骸化していた「ADKユニバーシティ」を中心に社内の教育制度を再整備するプロジェクトにも参画しました。
こうして採用分野と教育分野のどちらにも携わることになりました。人事に異動した時には採用・教育担当が5人しかいませんでしたがどんどん増えていき、採用グループや育成グループ、キャリア開発グループが結成されます。
とりわけキャリア開発グループについては、当時キャリアという言葉が注目され始め、大学や高校でもキャリア教育を重視していた最中でした。そこで、社内でも仕事におけるキャリアに悩む人に日の目を当てられるような活動を行いたいという想いから生まれたんです。
そして2019年から、採用・育成・キャリアの3グループを統括する人材開発局(現ラーニング&ディベロップメント局 兼 ピープルアクイジション局)の局長を担っています。
環境が変化する今、現場が分かる人事だからこそできる提案・提言
ー様々なご経験をされているなか、人事の実務に関するウェイトも大きいのでしょうか。
そうですね。人事畑で言うならば、採用を基本は僕含めて2名でやっていた頃もありました。今のように新卒・中途合わせて何百人も採用しているわけではなかったので何とか対応できていました。それに企画や開発は好きですし、「他社が行わないようなものを仕掛けて、世の中に受け入れられた」という実感は、広告会社にいるメンバーにとっては中毒になるんですよ。自分の考えた企画に反響があると、それが快感になって「それじゃあ次に次に」ってなる。こういった気質があるんだと思います。
ただ広告代理店を取り巻く環境も変化して、昔は認知をとってナンボみたいな風潮でテレビCMが圧倒的だったのが、今は種まきと刈り取りをするインターネットに代わってきたんです。そうすると、自分の仕掛けたものが世の中に受け入れられて「すごい」と言われるのとは違う喜びが、この業界のマジョリティになってくるっていうことが分かってきて、結果を出してきた自負と共に多少の戸惑いも出てきました。
そして当社が分社化。今では新しい執行体制の元で、加速的に改革を進める方針に変わります。人事部門もCHRO(最高人事責任者)をトップに据えてリードディレクションしてもらうことになりました。
さまざまな変化が起こるなか、社員もどんどん教育を受けてモチベーションやスキルセットを変化させなければなりません。企業の構造改革を加速的に進めるためにも社員の育成・成長は必須となります。我々人事部門もその為の意識変革も含め去年から今年にかけて大変でしたね。
ーCHROが入られた前後ではどのような変化がありましたか?
CHROが入った時期は、中期経営計画を策定するタイミングでもあったんです。そこで3年後を見据えて、人事の側面からみた現状の姿(AsIs)とあるべき姿(ToBe)をしっかりと問われました。
これまでもADKユニバーシティの再構築など個々の施策を手がけてきましたが、より体系化した取り組みを求められるようになったと思います。だからこそ、まずは今ある素材やデータ、情報を基にしっかりと組み上げていくというように意識が変わりましたね。
ーよく事業部門と人事部門の摩擦や葛藤が取り沙汰されますが、この辺りの難しさはありますか?
そういう意味では、今のチームはバランスがとれていると思います。具体的には、僕は広告代理店事業の実務経験がベースにある上で人事経験を蓄積してきました。だからこそ、現場が必要とする人材を理解した上で採用を行えた経緯があります。対して他の中途採用のメンバーは、業界特有のものをあえて除いた採用や育成の本来あるべき姿を熟知したタイプです。
両者の考えが合わさることで、例えば「階層別研修のマネジメントはこうあるべき」という考えに対して「当社が実際に置かれている立ち位置や現場の実態など」を踏まえて、「あるべき姿を実現するためには、この順番で実行するのが最適ではないか」といった提言を行える人事部門になれます。
ただ、我われ人事部門が働きかけないといけないのは事業部門の専門分野を追求されてきた方々ですので、当然のごとく摩擦も生じます。そこをどうやって理解してもらうかに関しては、非常に頭を使います。例えば、データを用いて必要性を明示すると納得や賛同を得やすい傾向はありますね。
「やりたいこと」を大切に、楽しみながら前へ進む
ー齊藤さんはご自身の希望通り広告宣伝業界に携わってこられましたが「夢をあきらめないためのポイント」などはありますか?
そうですね。話は少しさかのぼりますが、実は大学の時は理系で、建築や土木の分野を専攻していました。数学や物理が好きで、なおかつ実家が建具屋だったことが専攻した理由です。その時に所属していた研究室で、自分たちが目指すべきは、あるCMのキャッチコピーだった「地図に残る仕事」のキーマンであるガテン系の人たちに夢と希望を与える仕事というのを知りました。
そこで思ったのが「“地図に残る仕事”というキャッチコピーを打ち出す方をしたい!」だったんです。そこから「広告代理店、マスコミ?面白そう!」となります。
当時はテレビ局に1万人が応募していた時代で、広告代理店は電通の一強でしたね。学生時代の友人も、テレビ局や広告代理店を志望する人が多くて、その影響もあったように思います。
インターネットは普及していなかったので「面白いテレビCMやキャッチコピーを打ち出したい」と考えて、当時面白いCMをしていたセゾングループのパルコを志望しました。入社後はホテルの宿泊フロントや宿泊販促企画にも関与しましたが、やはり宣伝・広告に特化したいという想いから6年間にわたり宣伝部を希望し続けましたが異動は叶いませんでした。そのため、バブル崩壊後という当時の時代背景もあるなか、転職を決意したんです。
ですので「夢をあきらめない」という程ではありませんが、やりたかったのはその1点だけだったんですよね。
そこから何をしたかというと、広告代理店の上位数十社に勝手に、履歴書・職務経歴書・志望動機を手書きして送りつけました。(笑)
もちろん大半の企業からは「募集していません」といった回答が来ました。ただ、残りの1割からは「会いましょう」と言ってもらえたんです。その中の一社が、大手マンションデベロッパーのハウスエージェンシーで、先方からは「給料は下がるよ?」と心配されましたが「問題ないです!」と一言、即入社しました。
入社後は、年下の先輩がたくさんいたので、1年で5年分の仕事をしようという意気込みで、朝9時から翌朝4時まで仕事、タクシーで帰って仮眠して直ぐ出社のような生活をしていましたね。そうすると仕事がバンバン来るようになるんですが、分からないことも多くてミスもしてしまうんです。 3LDK4800万円のマンションの広告に“万”を入れ忘れたとか。(笑)
あとは、新聞の専売所に早朝に行って「この家に入れるチラシを封入させてください」とお願いして、一番きれいなチラシを封入して投函してもらって、満足して帰宅するとか、今では考えられないこともしていましたね。
ですので、夢や希望とかじゃなくて、広告に携われていること自体が楽しかったんだと思います。自分で決めて思うように行動できていることが。
その後、不動産に限らず世の中のより多くに影響を与えられるようなことがしたいという想いが強くなり、あらためて転職市場に出て入社したのが今の会社です。
2社の経験を経て当時は32歳。新聞とかチラシなどの広告については大体わかっていましたが、新しいことも一気に増えて、面食らいました。20代の後輩の方が自分よりも経験領域が何倍もある状態にも焦りを感じましたね。
そこから何とか巻き返していきましたが、当時を思い返すと「やっと自分のやりたいことができるようになった」という安堵感と、「とはいえ自分はできていない」という劣等感の狭間にいたように思います。時代とともに、周りの環境とともに、何となくそれを楽しみながらやっていったからできただけだと思います。
すべきことを新たに見つけて取り組む、その先にこそ成長がある
ー採用や育成など何をやるにしても「現状に満足せず、アップグレードしていく」といった姿勢が伺えるのですが、それはどこからきているんですか?
当時の人事は採用から育成で5人しかいなかったことから分かるように、会社として採用~育成に注力したくても出来ていなかったと思います。中途採用では、当時、大手ナビサイトに小さなバナー広告を入れるだけでも、700人くらいは応募があったんです。ただ、そこに「質」へのこだわりは無いと感じたんです。僕の周囲を見ても、広告代理店に入社したけど「何か違うなと思って」といった理由で辞めていく同僚も多かった。そこから、応募の「人数」も大切だけど、やはり「質」が重要と考えるようになりました。
そこで、人材紹介を活用しようと提案しました。当初は「高いのでは?」という意見から少数での利用に留めていましたが、結果として良い人材を採用できたんです。このようにして、予算を確保するために「地道に実績を積む」という点は押さえましたね。
あとは6~7年前に当時の役員と「日経新聞のトップに載るようなニュース性のある採用をしよう」といったコンセプトで、生まれたのが「相棒採用」でした。「何か新しいことを生み出して初めて価値がある。」これを人事領域でも体現した経験でした。
自らが置かれている立場として、すべきことを何か見つけ出して取り組むという姿勢は持ち続けています。
ーすべきことを見つけ出して取り組む…継続するのは簡単なことではないと思いますが、それが齊藤さんのこれまでにつながっているのですね。参考になるお話をありがとうございました。
※齊藤さんの肩書はインタビュー時のものです
おわりに
宣伝・広告の最前線から、人事領域のマネジメントへ。自らが進みたいと思った道を工夫と努力をもって歩みつつ、周囲から期待されることに対してもそれ以上の成果で応える姿がとても印象的です。本インタビューから垣間見えた齊藤さんの考え方やキャリアの築き方に影響を受ける方も多いのではないでしょうか。
変化の激しい現代、齊藤さんとメンバーの皆さまが一丸となり、企業の要となる“人”を支え、発展させていくことと存じます。私たちもその一助となれれば幸いです。貴重なお話をありがとうございました。(聞き手:株式会社インヴィニオ コンサルタント 松井麟太郎)