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人と違ったことをする。その先には「いいことしか起こらない」と確信しています。
kay me株式会社
代表取締役
毛見 純子 様
目次
『一瞬で華やか、ずっとラク』。アパレル未経験のコンサルタント出身者がつくったkay meが提供するジャージワンピースは、着心地が良く、自宅で洗濯ができ、アイロンがけ不要なのに、女性のカラダを美しく見せるデザインにも妥協しない。明るい色彩で働く空間に華やかさを添えます。キャリアのスタートは教育業界の営業。戦略コンサルティングファームを経て起業。急成長する日本製D2Cブランドkay meを立ち上げた毛見純子さん。ご自身の経験がどのように事業に活かされているのか。また、なぜアパレル事業を始めたのか。困難を乗り越えていく原動力はどこにあるのか。お話を伺いました。
毛見 純子 さん 略歴
大阪府生まれ。早稲田大学卒業後、ベネッセコーポレーションに入社。その後、プライスウォーターハウスクーパースで人事コンサルティングを担当し、ボストンコンサルティンググループで経営戦略コンサルティングを担当する。2008年、会社を設立し代表取締役に就任。マーケティングコンサルティング事業を開始。2011年7月「挑戦する人を応援する」をコンセプトとし、自宅で洗えるストレッチ素材のスーツやワンピースなどのアパレル・バッグ・ジュエリーを展開する日本製D2Cブランド kay me 事業を開始。
入社1年目で作った事業計画からのキャリアスタート
-読者の方に向けて、毛見さんの経歴をお話しいただけますか。最初は営業職だったそうですね。
そうです。子どもの頃からビジネスをしたい、会社を作りたいという思いをもっていました。そのためには「物を売る感覚」を身に着けなければいけないと思い、営業職に絞って就職活動をしてベネッセに入社しました。ベネッセでの仕事内容は、学校法人を回って、学校活動の様々な側面を可視化するための「子供の多様性チェックテスト」というものを売ることでした。
営業リストと車のキーを渡されて「それじゃ頑張ってね」みたいな感じで送り出されて、週5日のうち5日外回り。それまで遊びほうけていた学生だったのが、校長先生を始めとする50代60代の先生たちと学校の現状を変えていくための議論をしたり、講習を行うような立場になって緊張の連続でした。
その一方、社会人としての常識も学校の先生たちに教えて頂きました。「あれほどアポを入れてから来るようにいったのに、いきなり学校に来た」みたいなクレームが本社に入ることもありましたね。
営業の数字を達成することにもやりがいを覚えましたが、それ以上に、自分が動くことで学校の現状が変わっていくことに面白さを感じました。新卒の人間にここまで責任を持たせてくれる会社も少ないと思いますが、5年の間にマーケティングをはじめいろんなことを学びました。
-その後の起業に結びつくようなエピソードがあれば教えてください。
今でもよく覚えていることがあります。学校をいくつか回っていたところ「この教材をもう少しこういう風に変えてくれたら買うんだけどな」といわれたんですね、2~3校の先生に。それをそのまま上司に報告したところ「そんなたわごとに会社が耳を貸すわけないだろ」といわれました。しかし、上司のアドバイスは続き、「もし会社を動かしたいのなら、数値化してこい。」という指示がありました。どのジャンルの学校のどんな先生にニーズがあるのか、その背景は何か、教材を変えることで他校にどのくらいの影響があるのか、全国的な市場で考えた時いくらの売上が見込めて、その波及効果はどのようなものか。「マーケティングと営業と数字分析をして事業計画を出せ。口先でいってるだけでは、その話はないに等しいぞ」といわれて、入社1年目にして自分1人で事業計画を書きました。それが翌年商品化され、全国的にも売上が上がってすごく楽しかったのです。
この経験を通して、お客様の声がすごく大事だということ、お客様の声を数値化して未来予測することで、投資の判断ができ会社を動かす力を持つこと、事業が成長することをミニサイズで経験できたことが、現在の原点になっているのかなと思っています。
-ベネッセで5年務めた後、コンサルティング会社に移られていますが、それはどのような理由からですか。
会社とは何か?ということを早回しで経験したかったからです。いろんな産業で、いろんな課題が解決されていくプロセスを知りたい。そのためには、MBAに留学するか、コンサルティング会社に勤めてさまざまな会社と話をさせてもらうか、この2つの選択肢があるなと考えました。結局、現場にいた方が短期間で成長できると思いPWC(プライスウォーターハウスクーパース)に入社することを決めました。PWCの人事コンサル部門で、制度設計や教育研修制度などを担当しました。充実した経験を積ませて頂きましたが、人事関係中心のコンサルティング経験だけでは、会社のお金の流れが見えてこない。そこで、経営戦略全体を見たいという思いが強くなり、ボストンコンサルティングに移りました。
-営業を学び、人事や人財教育を学び、経営戦略全般へ。会社を立ち上げる準備が着々と進んだように思えるのですが、困難はなかったのですか?
もちろんありました。自分が一生かけてできる事業って何だろう?何か問題が発生しても諦めず続けていく覚悟ができることって何だろう?分析はできても、やりたいことが決まらない。そこがモラトリアムというか苦しんだ時期でしたね。コンサルティング会社で働きながら、4年半くらい悩んでいました。
大震災の夜、考えていたことのすべてがつながった
-悩んだ後、アパレルの会社を起業するわけですが、そのきっかけは?
きっかけは東日本大震災でした。「この歳までに会社を作るぞ」と決めていた年齢に達したので会社を辞め、ボストンコンサルティングの仲間とマーケティングのコンサルティング会社を設立。しかしコンサルティングってお客様に情報をお渡ししたら、そこから先は関与できなくなるわけです。もっと一生をかけて成長する事業をやりたい。何があっても環境の変化に対応できる仕事をしたいと思っていた時、震災が起こりました。
あの日、私は名古屋のエネルギー会社の最終報告会で、資料を準備し、プレゼンする予定でした。ところが、それどころではなくなって、クライアントに緊急防災対策委員会が立ち上がって、役員の方たちが皆いなくなってしまったのです。「あなたはもう帰っていいよ」といわれて、ものすごくむなしさを感じました。徹夜で仕上げた報告書を手にしてそう感じました。
帰っていいよといわれても、新幹線は止まっていました。ホテルはどこも満室です。なんとか岐阜羽島までたどり着き、ビジネスホテルに泊まることができました。ホテルの暗い天井を見つめているうちに、今まで考えていたいろんな点が線でつながって「そうだ。ジャージワンピースだ!」と思いつき、その日のうちにコンサルティング業務をやめる決心をしました。「キラーん!」と閃いて、そこに「ウフフ」があると。
-「ウフフ」がある??
はい。ビジネスをサポートする会社はいっぱいありますよね。マイクロソフト、グーグル、でもこういう会社には「ウフフ」がないと思ったのです。ビジネスは人間がやるものです。長い時間働いている中で、自分の感性を大事にしたい瞬間があります。「今日の私、けっこういけてるじゃん」と思いたい時もありますよね。こういう「ビジネスの中にあるウフフ」が足りないことをずっと感じていました。その「ウフフ」を提供するのが、kay meでありたいと思ったのです。
社会人になるとお金には多少余裕ができますが、反比例して時間は圧倒的になくなっていきます。私の場合は、時間が洋服に取られていく感覚がありました。スーツをどんどんドライクリーニングに出し、翌朝8時出発っていう時に、取りに行っている時間がない。自分の家で洗濯できたらいいのに。面倒くさいなとずっと思っていました。女性のスーツは結構タイトにできているので、着ていると苦しいということも潜在的に感じていました。海外にはブランド物のジャージワンピースもありましたが、値段がかなり高いのに、洗濯したら縮んでしまったりするのです。
-ジャージ素材のワンピースを手掛ける。それはマーケティングの観点からは勝算ありと思われましたか?
もちろんです。例えば働く女性の管理職の比率は、これから国内で伸びていかざるを得ない状況になっています。寿退社みたいな時代はもうこないだろうと思います。アジア圏の経済成長をみても、女性の社会進出が活発になっていて、時間とお金の交換が進むだろうと思いました。
マクロ的な動向としては、賢い人や資金のある人が参入してこない産業で、かつ自分が一番詳しいものをやろうと考えました。その答えが、新卒のリクルートスーツを卒業した世代の女性が「着たい!」と思う仕事服でした。自分の家で洗えて、オシャレで、動くのも楽で、アイロンもかけなくていい服。飽和市場のアパレル業界には、もうだれも入ってこないだろうと思ったので、「コレだ!」と直感しました。
-ブランディング戦略は、どのように考えましたか?
ブランディングという面では、物を売るというよりもストーリーの部分を追求しました。私はお客様というのは仲間・同士と思っています。例えば私の会社では、毎朝7時に、モノづくりや活動、あるいは新製品などについてスタッフが日替わりで紹介するブログをアップしています。それを8年間ずっと続けてきました。
私たちが考えていることを伝えることによって、お客様を巻き込んでいくというか、私たちがやっていることを「自分事」のようにお客様に感じてもらう努力をしてきました。「kay meって自分の会社みたい」そう思っていただけるように、情報も徹底的に開示しました。ファンになっていただいて、友人を紹介していただいて、そういう形でブランドを育ててきたつもりです。販売よりも生産のチームをしっかりさせなければいけない思いが強かったので、品質を下げずにやってくることができました。これもブランディングにつながったと思っています。
-kay meを立ち上げられてから、順調にサクセスストーリーを歩まれているように感じていますが、その過程でご苦労がありましたら、ぜひ教えてください。
物作りを知らなかったので、業界の常識がわかっていない部分も多かったと思います。アパレルの取引って、契約書がなかったりするのです。百貨店との間でも、責任の所在が明確じゃなかったり。そういうことを私が言い出した時、相手にキョトンとされる場面がありました。
制作でも、絶対自分が買いたいと思う服しか作らないと決めていました。だから物作りの生産工程の中で、ここにこうやって切れ目を入れて、ここからギャザーを出してみたいな話をすると「できるわけないやろ!」と怒られることがありました。でもだんだんそれがお客様の支持を得たり、工場さんにお客様の声を伝えたりする中で、作り手側の意識も変わっていきました。今では工場さんの方から「ここのまつりはこうした方がいいよ」と提案してくれる関係になっています。
「同じことはしない」というポリシーが行動の原動力
-毛見さんはベネッセの時も、新人ながら上司に提案を行っていますが、考えたことを躊躇せずに「言う」というアクションができるのは、なぜですか?
なぜでしょうね(笑)。私が常日頃考えているのは「絶対に人と同じことはしない」ということです。ベネッセに入社した当時、毎月社員を集めて大きな会議があったのですが、部長や副部長が一方的にプレゼンして「今月はこういう目標で!」みたいなことを言われました。新入社員には話のロジックどころか、言葉の意味さえわからない。周囲を見回してみると、入社2年目3年目の先輩たちも、どうやら理解できていないことが顔つきでわかりました(笑)。
知ったかぶりして座っていたのでは、みんなと同じになってしまうと思い、質問をすることにしました。「それはどういうことですか?」「なぜそうなるのですか?」「その意味がわかりません」…私の中ではこの会議を「基本的なことを理解するための場」に位置づけたのです。私がそうやっているうちに、だんだん質問する人が増えて、一方的な通達ではない「議論できる会議」に変わっていきました。部長も「ちょっとロジックが飛躍しすぎたかな」みたいな感じで話すようになりました。
みんながそう思っているのにやらないのなら、あえてやってみる。そうすると風穴が空いて、他の人もアクションを起こせるようになる。「他の人と同じことをやっていてはダメ」というポリシーが、私にその勇気を与えているのかもしれません。
-kay meも「他の人と同じことはしない」という意志を感じるブランドですよね。
そうですね。これまでは働いている女性自身も、職場では男性と同じようにダークスーツでなければいけないと思い込んでいましたからね。この事業を始める前、コンサル系や銀行系の社長さんなどにお話しを聞いたのですが、皆さん「女性は華やかな方が話していて楽しい」とおっしゃるんです。ダークスーツ着てアタッシュケース持ってカツカツ入ってこられると、正直「なんだかなぁ・・・」と思ってしまうと。
それならば働く女性たちに、会社の中で一番注目されるような服を提供しよう!注目を集めれば、その注目に応えなければいけないので、自分自身のパフォーマンスも上がります。パフォーマンスが上がれば、あの人に相談しようかなと周りも変わっていきます。少なくとも「気づかれない存在」から「気づかれる存在」に変わっていける。ビジネスの中でファッションというのは、自分がやりたいことをつかむためのツールだと思うのです。
地味な服と、華やかな服があったら、勇気を出して華やかな方を選択することで、もしかしたら「わらしべ長者」のような変化が起こるかもしれない。華やかだから商談の後で飲み会に誘われるかもしれません。そこでクライアントの役員と意気投合してスカウトされるかもしれません。給与も地位も上がって、さまざまな社長たちが参加するイベントや会議に出るようになり、起業するチャンスが生まれるかもしれません…例えば、ですけどね。服装を変えるだけでいろんな可能性が生まれる。「人と違ったこと」をしてみるその先に起こることは、自分さえ堂々としていれば「いいことしか起こらない」と私は信じています。
-人と違ったアクションをする際に、何か気をつけていることはありますか?
敵をつくらないことと、だれかを傷つけないことですね。あとはアンポンタンなことはしないこと(笑)。アクションを起こす前にいろんな想定は考えます。だれかを安易に批判しているようなことにならないか。だれかを傷つけていないか。「言っているだけの人」にならないためには何をすべきか。この3つを考えて、3つとも〇ならば「やらない手はない!」と判断して、自分にGOを出します。
会社の成長には、コミットメントの高い人材が欠かせない
―ワンピースからはじめられて、鞄、ジュエリーに広がって、海外展開。kay meの今後の事業展開について、お聞かせください。
海外進出をもっとしなければいけないと考えています。日本の人口を考えると、日本の中で完結していたのではビジネスは成長できません。消費も労働環境も、雇用も同じだと思います。
海外に仕事で行くと、日本人が思っている「日本はまだ大丈夫感」と海外が思っている「日本ってどこだっけ?感」のギャップをものすごく感じます。80年代以前の人たちに日本の有名な会社は?と聞けば、ソニー、トヨタ、パナソニック…と答えてくれるでしょう。ところが80年代以降の人に日本企業の印象を尋ねると「日本ってどこだっけ?」「テクノロジーが優秀?韓国とどう違うの?」「テレビ買うなら台湾製の方が安くていいよね」といった反応になるのです。それで日本に帰ってくると「やっぱり日本がナンバーワン」みたいなテレビ番組をたくさんやっている。このギャップが凄く怖くて、状況を突破するには自分たちが出て行くしかないと思いました。
日本は「物作り」は確かにすごいのです。食べ物も洋服も、品質に対して、たぶん地球上で一番ケアしている国だと思います。ところが営業がヘタクソなので出て行けないのです。そう思っているのなら、自分たちで突破するしかない。
労働力もないに等しい状況なので、雇用に関しては他国の若い人が魅力的に思ってくれるような会社にならないといけません。自分たちで失敗例や成功例をためて、うまくいく方法をみつけていくしかないと考えています。
-ミッションみたいなものを感じますね。
世の中に対して残していけるもの、自分が死んだ後も残していける貢献って何だろうと考えた時、挑戦している人が成功していくような社会にしたい。そういう社会を支えたいと思いました。それによって経済も発展するし、女性も意見をちゃんと言うようになっていく。ビジネスや政治の世界で男女比率が変わると、人を殺して平和を潰すみたいな考え方も薄まるんじゃないか。経済と平和を考えたら、女性がもっと関わった方がいいと思っています。
-マネジメント面でのご苦労や、工夫されていることはありますか。
私は事業部長やマネージャーなどの役職を経験せずに独立したので、その面では本当に苦労しました。BtoC事業の会社には、素材の開発から、デザイン、物作り、品質管理、プロモーションやブランディング、クリエイティブの制作から販売、経理、労務、法務、カスタマーケアとIT…かなりたくさんの人材が必要です。事業をはじめようと思った瞬間、自分が全然経験していないフィールドの人たちが必要で、しかも共通する言語もなければ共通の考え方もない。採用って楽じゃないなと思いました。
私が好きな経営者の1人がDeNAの南場さんなので、彼女の本をよく読みます。その中で彼女が組織を立ち上げた時、やはりすごく優秀な人たちを採用したのだけど、会社がある程度になったら問題が発生したということが書かれていました。コミットメントが薄くて能力が高い人ばかりなので、会社に対するロイヤリティが低く、文化が生まれなかったのだそうです。そこである時期、大ナタを振るって切り替えたら、会社の成長が著しく伸びたということが書かれていて、なるほどと思いました。
私にも似たような経験があったからです。尖った仕事ができる人って、「この仕事は私がやってるんだから!」みたいな雰囲気にだんだんなっていくんですね。能力はもちろん大事だけど、ミッションを理解して体現してくれる人の方が、最終的には会社を伸ばしてくれます。言葉ひとつとっても、それを受け止めて自分の仕事に反映してくれる人でないと、会社は大きく成長しないと思います。能力とコミットメントどっちか1つではなく、その案配をギアチェンジしていくことが必要なのです。
「間違ったらはずかしい文化」から抜け出してみる
-毛見さんが困難に直面した時、それを乗り越えていく力の源はなんですか?
私はいつでも「絶対にできないことはない」と思っています。できないことがあるとしたら「できない」と思った瞬間にそうなるんです。
今の社会はSNSで世界中とつながることができます。問題が発生してもそこに投げかければ、誰かがパスをして、しかるべき人に届けてくれます。「助けて~」と発信すれば、解決することがほとんどだと思っています。例えばロボットを作りたいと思ったら絶対に作れる。宇宙に行きたいと思ったら絶対行ける。ビジネスをするには、とてもいい時代だと思います。
-「助けて~」って言えない人はどうしたらいいんでしょうか?なぜ毛見さんは、それが言えるのですか。
世界標準からすると、私もすごく慎ましやかな日本人女性です(笑)。その中では比較的思ったことを口にする部類かもしれませんけど。でも例えばヨーロッパのカフェでコーヒーを飲んでいると、突然、隣のおじさんが歌い出したりするでしょ。近くにいた人が手拍子したり、踊り出す人もいます。そういうことが突然始まって、さっと終わる。なんでこういうことができるのか。海外の仕事仲間に聞いたことがあるのです。すると彼らは小学生の頃から「違う考え方を誉める」という文化が根付いているのですね。同調して意見を言わない人は透明人間みたいだけど、違う意見は、それが間違っていたとしても拍手する。そういう文化があるから個人攻撃になったりしないので、安心して、歌いたかったら下手でも歌い出しちゃうのです。周囲が賞賛してくれることがわかっているからです。
これに対して日本の教育は「間違ったらはずかしい」ですよね。間違っちゃいけないから、先生が指した人しか発言できない。先生がクラスのオーガナイザーなのです。
間違ったら恥ずかしい文化と、目立ってなんぼの文化。この壁を乗り越えていくのは結構大変だと思います。私も、まだカフェでは歌えませんけど(笑)。
-最後に、企業のリーダーたちにメッセージをお願いします。
私はそれほどリーダーシップがあると思っていないので、偉そうなことはいえないのですが…。大きい企業のコンサルティングをやっている時に思ったのは、会社の中でみんながフォロワーになってしまっているということでした。社長以外はあまり発言しようとしない。自分のビジョンを組織の中で実現しようという動きがなさすぎる。会社の指示に対して「従う人」であることに疑いがなさすぎると思うのです。
私は逆に、大企業の中にいるからこそ、自分がやりたいことをやればいいと思っています。自分のビジョンを実現するのに、大企業ほどいい環境はありません。お金もあれば人もいます、情報もあります。自分の願いを会社の資源を使って実現する。そのために大企業にいるのだと思った方が、人生がずっと楽しくなりますよね。自分の思いを形にしていくことをやっていくと、それに賛同してくれる人も自ずと増えていくと思います。
-ビジネスをするにはとてもいい環境だからこそ、大企業にいても「従う人」にならず、自分の思いを形にしていくことを目指す人が増えていくといいですよね。ありがとうございました。