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スタイルとしてのリーダーシップ ~ 一橋大学大学院 国際企業戦略研究科 教授 楠木 建
リーダーシップとは何か
リーダーシップとは何か。優れたリーダーとはどのような人か。これはビジネスの分野で、古くから不変の人気を保ち続けているテーマです。それが証拠に、この30年間で出版された「ビジネス書」をテーマ別に分類してみれば、(実際にカウントしたわけではありませんが)ダントツで数が多いのはリーダーシップに関する本のはずです。
テーマとして安定した人気があっても、その中身には相当の流行り廃りがあるようで、「MBA的な専門能力がリーダーの条件」という話が大真面目に議論されているかと思えば、ちょっと目を離しているうちに、「MBAはもういらない、リーダーシップは人間力」とかいう話になっていたりします。
ようするに、「誰もがリーダーシップに関心がある、しかしその本当の中身は誰にも分からない」ということなのでしょう。だからこそ、次から次へとリーダーシップの本や言説が生まれてくるわけで、この辺にリーダーシップというテーマの持続的な人気の理由がありそうです。優れたリーダーになるための確立された方法論などどこにもないし、リーダーの条件に、これが正解だ!というものなどあるわけがありません。優れたリーダーは千差万別です。リーダーの数だけ「リーダーシップ」があるといってもいい。
ちょっと考えれば誰にも分かる常識です。しかし、今も昔もリーダーシップを事前に定義できる「スキル」の集合、つまり「スキルセット」とみなす考え方に傾きがちなようです。リーダーシップを構成する要素が3つか7つか24個かあって、それを一つ一つ手に入れていけば優れたリーダーになれるという、ま、あっさりいうとそういう話であります(たとえば「7つの習慣」とか・・・)。
最近の「人間力」という話にしても、それが一般的に定義できる「スキル」であるはずがないのに、あたかも人間力というスキルがどこかにあって、それを手に入れればリーダーになれるというようなトーンで語られています。リーダーシップがある種のスキルセットであってくれたほうが、それを手に入れる道筋なり努力の対象が手っ取り早く分かるわけですから、この手の願望が出てくるのも人情ではあります。しかし、リーダーシップがスキルであるという幻想にとらわれている限りは、リーダーシップの本質は見えません。
スキルではなく、スタイル、そして有無の問題
だとしたら、リーダーシップとは何か。優れたリーダーとはどのような人なのか。スキルではなくて「スタイル」だというのが僕の意見です。スタイルとは何か。それは、その人を構成するさまざまな要素が首尾一貫して絡み合って生み出される、その人に固有の全体なりパターンのありようのことです。正しいスタイルとか間違ったスタイルというものはありません。スタイルは「良し悪し」ではなく「あるかないか」、有無の問題です。
スキルとは本来的には「量」の問題ですから、ある人のあるスキルがほかの人よりも40%優れているということはあります。しかし、ある人のリーダーシップほかの人よりも20%優れている、などということはありません。リーダーシップのある人とない人がいるだけです。これまでに多くの「優れたリーダー」と呼ばれる人々と話をしたり仕事をしたりする機会がありましたが、僕はつくづくそう思います。
スタイルとしてリーダーシップという概念は、「かっこよさ」に似ています。「かっこいい人」というのは確かにいます。かっこいい人は誰が見てもまあカッコイイ。もちろん「かっこよさ」にもバリエーションがあります。ああいう風にかっこいい人、こういう風にかっこいい人、そういう風にかっこいい人、さまざまです。人によって好みというかテイストの違いはあるでしょうが、それでもやはりかっこいい人とかっこよくない人がいる。かっこいい人はかっこいいけれども、かっこ悪い人は厳然としてかっこ悪いのです。かっこいい人はなぜかっこいいのか?それはスキルなのでしょうか。かっこ悪い人はなぜかっこ悪いのか?何かのスキルに欠けているからでしょうか?
ある人のかっこよさを、いくつかの構成要素に分解することは可能でしょう。たとえば、表情が生き生きとしている、服装がしゃれている、話し方が素敵だ、姿勢がよい、歩き方が颯爽としている、話が面白い・・・・、あげていけばきりがありません。しかし、そうした要素をそのまままねしたところで、かっこよくなれるかというとそうではありません。「こうやったらあなたもかっこよく、かわいくなれる!」というような記事がこれでもかとばかりに女性雑誌には載っていますが、そこで推奨されている服を着て、髪形を整え、メイクをし、上目遣いでシナをつくっても、そう簡単にはかわいくなれません。実際、そうしたマニュアル的な情報に敏感な人に限ってあまりかっこよくないものです。マニュアルに忠実に「スキルを構築」しようとするほど、ますますかっこ悪くなってしまうものです。
ようするに、「かっこよさ」は、本来の言葉の意味での「スキル」ではない。かっこよさの普遍的な条件や、かっこよくなるための「ベスト・プラクティス」は存在しない。かっこいい人がなぜかっこいいのか。そうしたさまざまな要素が、首尾一貫して組み合わさって、渾然一体と融合して、時間をかけて熟成されていて、その熟成された総体がかっこいい、としかいいようがありません。リーダーシップもそれと同じだというのが僕の意見です。
リーダーシップを身につけるには…
リーダーシップがこのような意味でのスタイルであるとすれば、どうすればリーダーシップを身につけることができるのでしょうか?スキルではありませんから、教科書はありません。優れたリーダーになるための一般法則はないのです。こういってしまうと、元も子もないというか、打つ手なしということで、滝に打たれて瞑想すべし、とかいう精神世界に一挙にジャンプしてしまいがちです。
しかし、そこまでいく必要もありません。一見、迂遠にみえますが、リーダーシップを身につける近道は、優れたリーダーを「見る」ことに尽きる。僕はそう思います。かっこいい人がすぐにそれと分かるように、優れたリーダーは簡単に見分けがつきます。ああこの人にはリーダーシップがあるな、と自然と思わせる人なら誰でもいいので、まずはじっくりと観察することです。
リーダーシップはスタイルですから、日常の一挙手一投足にその人のスタイルがにじみ出ているはずです。会議での議論のスタイルやその人の交渉の仕方、部下への指示の出し方はもちろん、ちょっとした電話のかけ方、メモの取り方、デスク周りの整理の仕方、さらには食事の仕方、歩き方、笑い方に至るまで、観察可能なあらゆる現象にその人のスタイルが現れているはずです。それを「見る」ことが大切だと思います。しかも、ただ漫然と眺めるのではなくて、その人のスタイルを見つめ、見つめ続け、そして見破る(あまり見つめているとあらぬ疑いをかけられるので、この辺は要注意)。日常的に観察可能な断片を凝視しているうちに、一つ一つの断片のつながりが見えてきます。つながりが見えてくれば、その向こうに、総体としてのスタイルが、徐々にではありますが、浮かび上がってくるはずです。
そうして見破ったその人のスタイルが、自分に向いてない、あまり好きになれないものであったとしても、それはそれでいい。大切なことは、一貫したスタイルをもつとはどういうことか、なぜ一貫したスタイルが人をリードしていくために不可欠なのか、こうしたことをまずは理解することです。自分が漠然と考えるあるべきスタイルと違っていたとしても、逆にそのことが自分の志向スタイルが何であるのかをはっきりとさせてくれます。このような「見て見破る」トレーニングを日常的に重ねているうちに、だんだんと自分のスタイルができあがり、熟成されてくるのだと思います。
リーダーシップがスキルではなくスタイルだとすれば、リーダーシップの「研修」をするというのは、本来的にいって無理がありそうです。実際の仕事の場で、「見て見破る」経験を意識的に重ねていくのがあくまでも本筋です。ですから、優れたリーダーがたくさんいる組織には好循環が生まれます。数多くの多様なスタイルを見つめる機会が豊かにある組織ほど、次世代のリーダーも育ちやすい。逆に、たいしたリーダーがいないような組織では、そもそも見つめる対象に事欠くわけで、リーダーが育つ確率も小さくなってしまいます。
しかし、マネジメントが意図的にできることも少なくありません。たとえば、「メンター制度」などは、「見る」トレーニングを促進する仕組みとして有効であるかもしれません。もちろんこの場合は、きちんとしたスタイルをもっている人をメンターにする必要がありますが。オフJTの研修でも、参加者が「見て見破る」経験をお互いに共有したり、自分のスタイルを内省して他者に説明することによって、より一貫したスタイルを構築するために有用な機会を提供できるかもしれません。
いずれにせよ、「スキル」の教育に比べて、こうした取り組みは企業ではまだほとんど手がつけられていません。マネジメントとしてどのようなことができるか、考えてみる価値はあると思います。そして、そのような制度やプログラムは、参加者にとってきっと現実的で、実際的で、何よりも楽しいものであると思います。
(一橋大学大学院 国際企業戦略研究科 教授 楠木 建 氏による寄稿)